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今さらの名盤・人気盤






6月20日(FRI)


ALFIE / SONNY ROLLINS (IMPULSE AS 9111)





SONNY ROLLINS (ts)
PHIL WOODS (as)
J.J.JOHNSON (tb)
ROGER KELLAWAY (p)
KENNY BURRELL (g)
WALTER BOOKER (b)
FRANKIE DUNLOP (ds)
ETC

OLIVER NELSON (arr, conductor)

* 1966. 1.28



 RCAからIMPULSEへ移籍後の第二弾(リアルタイムで)、人気作。

 初めて‘‘Alfie’を聴いたのは、まだ、ジャズを聴き始める前、自動車教習所のスクールバスのラジオから。ロリンズの名は聞いた事はあるが、演奏を聴くのは初めてだった。

 後から分かったのですが、‘Alfie’のショート・ヴァージョンの方で、音とフレーズがどことなくデフォルメされたロリンズのプレイが実に新鮮でカッコよかった。
 
 
 本作は映画音楽のイメージが強いカヴァで随分損をしているけれど、実際は、スタジオで錚々たるメンバーをバックに配し、O・ネルソンのペンでしっかり作り込まれていており、したり顔で「所詮、映画音楽」とか、「ノリの良い‘Alfie’一発」とか、ネガティヴに捉える方が居られますが、変な色眼鏡を掛けて聴く必要はない。 ただ、来日公演で‘Alfie’やカリプソ・ナンバーを演り出すと、聴衆が立ち上り、手拍子と共にバカ騒ぎをし出しすあたり、ホトホト興醒めしてしまう。


 それはそれとして、ロリンズはもとより、サイドのバレル、キャラウェイのソロも良いし、ダンロップの小気味いいドラミングも聴きもの。斬新さはないけれど、ソリストを絞り込んだネルソンのアレンジがGooです。


 全6曲中、ロリンズのtsが如何に素晴らしいか、如実に語っているナンバーが、実は、ほとんどの方がノーマークしているA-2、‘He Is Younger Than You Are’。
中年男の悲哀を情感を込め、心模様をデリケートに吹き綴るロリンズ、お見事!
ロリンズ自身も会心の出来だったのだろう、最後の一音をtsではなく肉声で締め括っている。


 「テナー・タイタン」という異名を欲しいままにした50年代後半を愛するあまり、60年代のロリンズに?マークを付けているファンも少なくないけれど、‘He Is Younger Than You Are’で聴かせる繊細にして奥深いプレイにもう一度耳を傾けては如何でしょうか。

 例えば、コルトレーンのバラード・プレイはストレートな上、リリシズムをも湛えているので、割と万人に受け容れ易く、反面、ロリンズにはリリシズムという要素はないが、そうしたシンプルな一言では言い表せないサムシングを含み、一筋縄ではいかない。。こうした両者の特徴は、コルトレーンのコピーは掃いて捨てるほど輩出した一方、ロリンズをコピーしたプレイヤーは殆どいなかった、否、できなかった事と無関係ではありません。


 数多くのヒット作、当時の問題作が宿命とも言える「時の審判」に退色するの中で、この作品は、些かもその光を鈍らせる事なく、むしろその存在感を増していると思う。少なくとも自分には。

 余談を・・・・・・
4ヵ月後
ロリンズは、スモール・コンボで3作目の‘EAST BROADWAY RUN DOWN’を吹き込む。しかし、親会社ABCの担当重役から「こんなこんなアルバムを作るもんだから、売れないんだ!」と激しく叱責され、自尊心をズタズタに破られたロリンズは、その後、レコーディングを拒み続けたという。
 
 



2014




5月1日(WED)
 

LEE KONITZ WITH WARNE MARSH (ATLANTIC 1217)




LEE KONITZ (as)
WARNE MARSH (tsl)
SAL MOSCA (p)
*RONNIE BALL (p)
BILLY BAUER (g)
OSCAR PETTIFORD (b)
KENNY CLARKE (ds)

* 1955. 6



 
ほぼトリスターノ一派で固めたこのアルバムは、同派の作品群の中で一番ポピュラーで人気も高い一枚でしたが、最近はどうだろか?
 
 例えば、リーダーのコニッツのベスト・アルバムを挙げようとすると、他に優れた作品が先に挙がってしまい、なかなか出番が回ってこないのが現実のようです。ひょっとすると、忘れられ始めた名盤かもしれない。

 トリスターノ一門の中でも筆頭格の二人、カヴァからして鬼(師匠)のいない間に、ではありませんが、実にリラックスしている。コニッツなんか、肌着が見えるほどボタンを開け、口が裂けんばかりに笑っている。対照的なのがシャイなマーシュだ。
  

 で、この二人が、A面をジャズのスタンダード・ナンバーとポピュラー・ソング、B面をオリジナルと、趣向を変えて吹き分けている。なかでも、A面トップの「トプシー」は「クレオパトラの夢」的存在で人気曲ですね。また、「あまり調子に乗リ過ぎるなよ」と師匠からのお小言を受けないようにB面の頭にトリスターノ作の‘Two Not One」をちゃっかり配置している。
なお、個人的にはB面を愛聴している。
 
 そうした配慮からも推察できるように「大人」の演奏が続き、コニッツの切れ味鋭いソロ・ワークや二人の鍔迫り合いを期待すると、肩すかしを喰らう。

 
とは言うものの、さすがトリスターノの門下生、「和み」はあっても「緩み」は微塵も感じさせない。

 本作は、コニッツより「シャイ」なマーシュにSPOTを当てて聴くとその価値が倍増する。抑揚を押さえたその鳴らし方は、聴き様によっては無愛想で取っ付き難い面も無きにしも非ずですが、聴くほどに味が出てくるはず。イギリスのジャズ評論家、アラン・モーガンは「パーカー以降、最高のインプロバイザー」と絶賛している。正確には「・・・・・の一人」ですが、ニュアンスとしてはその通りと解釈してもいいだろう。「不遇の名手」ですね。
 
 もし、このアルバムがマーシュのリーダー作だったならば、「不遇の名手」に甘んじていなかったかもしれない。うぅ〜ん、これも運命のいらずらか!






2013





12月5日(MON)

NIGHT LIGHTS / GERRY MULLIGAN (PHILIPS PHM 200-108)



GERRY MULLIGAN (bs, p)
BOB BROOKMEYER (b・tb)
ART FARMER (tp、flh)
JIM HALL (g)
BILL CROW (b)
DAVE BAILEY (ds)

* 1963. 9



 
マリガンの作品群の中で果たしてこのアルバムがどのような位置付けがされてるか、定かでありませんが、少なくとも、最もポピュラーな作品であることには間違いないでしょう。ボサノバ・リズムを取り入れ、ソフィスティケートな演奏もさることながら、所謂、日本人好みの知性派メンバー、つまり、バカ騒ぎしない連中ばかりで固められた点も大きな魅力となっている。


 更に、1973年にスタートした「こんばんは、・・・・・・・でございます」で始まるラジオのジャズ番組で、このアルバムの人気曲、‘Prelude In E Miner’がテーマ曲として使われた事にも因るだろう。

 巷ではカヴァの雰囲気も好評で「夜の定番」という称号?まで得ているようですが、観賞力に乏しい自分には実物大で見るこのイラスト・カヴァが、それほど肯定的に膨らまない。

 そうしたイメージ先行の中で聴くタイトル曲に於けるマリガンのイントロ・ピアノは些か少女趣味的にも拘わらずポジティブに語られ過ぎているような気がしないでもない。

 ただ、マリガンのそれまでの演奏経験と時代の変化にシンクロさせた作品と捉えれば、それほどネガティヴに聴くまでもありません。
 

 
B面のマリガンのオリジナル、2曲にマリガンの本音が窺え、バリトン・サックスの第一人者、そして有能なアレンジャーとしての強かさと矜持を保っている。特に哀愁漂う‘FESTVE MINOR’が大好きですね。

 ところで、この作品を聴いていつも感ずる所があります。ブルックマイヤーのバルブ・トロンボーン。昔から彼のb・tbは野暮ったい、とか、ダサイというイメージが付き纏っていますが、本作での人畜無害と言っていいほど愚直なプレイはなかなかどうして、妙に無くてはならない存在のように聴こえる。ここを他の誰か、スライドtbでスルスルと吹かれたら、果たしてより好結果が得られたかどうか、甚だ疑問です。もっとも、「お前の耳は駄耳だ」と言われれば、それまでですが。


 それからもう一つ、「録音」の良さ。たまたまモノラル盤で聴いていますが、ナチュラルで、しかも管楽器の芯のある「音」は特筆もの。取分け、五、六分の力で吹くマリガンの啜るようで、輪郭がボケないbsの「音色」が素晴らしい!エンジニアはTommy Nora、さすがですね。
 
 ステレオ盤はもっとイイのだろうか?
 
 


 

2011


 
 

9月15日(WED)

BLUES AND THE ABSTRACT TRUTH / OLIVER NELSON (IMPULSE A-5)



FREDDIE HUBBARD (tp)
ERIC DOLPHY (as,fl)

OLIVER NELSON (as,ts)
GEORGE BARROW (bs)
BILL EVANS (p)

PAUL CHAMBERS (b)
ROY HAYNES (ds)

* 1961. 2. 23



 
今から思えば、凄いメッツですが、殆ど借り物って所が、この作品の不思議な魅力。当時、ネルソンとドルフィーはプレステージ、ハバードはBN、エバンスはリバー・サイドと専属契約を結んでおり、通常ではプレステージ・レーベルからリリースされるのが順当で、フロント・カヴァにきちんとその旨がクレジットされています。それが、新興レーベル、インパルスで録音された点が興味深く、プロデューサーがクリード・テイラーという所がミソですね。


 もう一つ、不思議な事は、ゲート・ホールドの内カヴァに‘OLIVER NELSON SEXTET’と記載されている。‘SEXTET’は6人で、本作は7人、つまり‘SEPTET’が正しいのではないでしょうか? まぁ、GEORGE BARROW (bs)はサポート役に徹しているので、実質SEXTETと考えたのでしょう。但し、このカヴァは2ndなので、オリジナル・カヴァでは‘SEPTETになっているかもしれません(未確認のままです)。
 
 Cマイナーのブルース‘Stolen Moments’から始まる本作は、全曲、ネルソンが書き下ろしたブルースに素材を絞り、アレンジも施した点が成功の全てと思う。まるで悠久の時間を刻むが如き‘Stolen Moments’のまったり(まろやかでこくのある)感はどうでしょう。とりわけ、ハバードの後に続くドルフィーのflが何と言っても出色の出来ですよね。asではなく、flを吹かせたネルソンの着眼が冴えています。 人気曲になるのも必定かな!

 ネルソンの掛け声からスタートする‘Hoe−Down’のリズミカルなゴスペル・タッチも心地よい。

 で、続く‘Cascades’、ネルソンに「まるでコルトレーンがtpを吹いているかのような」と言わしめた長いメロディ・ラインを見事に吹き綴るハバードのソロが聴きもの。それに刺激されたのか、続いてコルトレーンがpを弾いているかの如き、エヴァンスのソロもナイスですよね。それにしても、少し前にBNから初リーダー作を録音したとはいえ、まだ海のものとも山のものとも分からないこの時期のハバードに、これだけソロ・スペースを充てたネルソンの大胆な着想、そして、エヴァンスのソロの後、間髪を入れずホーン陣が襲いかかるネルソンのスリリングなペン、イャー、お見事の一言です。

 B面はCメジャーの‘Yearnin'’でスタートし、曲の配列も充分に吟味されている。

 いずれにしても、50年近く経った現在でも、時の審判に色褪せぬ本作の魅力は、メンバーの6(7)人とC・テイラー、誰一人欠けても決して生まれなかった。
 
 
 ps : 1stと2ndのクレジット等の違いについてはコチラをどうぞ。
 

 
 
 
1月31日(SUN)

RAY BRYANT TRIO (PRESTIGE 7098)



RAY BRYANT (p)

IKE ISAACS (b)
SPECS WRIGHT (ds)

* 1957. 4. 5



 
B・ゴルソンの‘GONE WITH GOLSON’のTOPにブライアントのオリジナル曲‘Staccato Swing’があり、大好きな曲、演奏の一つです。そのタイトル通り、ブライアントの魅力は指の関節をポキポキ折るが如く、歯切れのよさ、と思いますが、意外に繊細で上品な面も兼ね備えている。
 
 本作は、その繊細で上品な側面にSPOTを当てた作品。その象徴的で極め付けの演奏が、冒頭の‘Golden Earrings’。ジャズ喫茶の人気盤でもある。
 
 だが、こうした人気盤の宿命かもしれませんが、何度も聴くうちに飽きに似たようなものを感じてしまうのも否定できませんね。そして、これは僕だけかもしれませんが、本作には、もう一つ、ある人物の影をどうしても感じてしまいます。ジョン・ルイスです。
 
 もし、何の予備知識もなく、本作を聴かされ、J・ルイス?と訝っても決して不思議ではありません。その証拠というワケではありませんが、B-1に‘Django’が入っており、リア・カヴァの曲名の最初に記載されている。ワィンストックの目論見であることは明白ですよね。
 
 あまり半身に構えて聴く必要もありませんが、ブライアントの持ち味を期待すると、肩すかしを喰らいます。とは言っても、これだけ人気盤となれば、言うことナシですが、ただ、名盤?となると微妙ですね。車の中では名盤なんですけど・・・・・・・・
 
 カヴァの表と裏に‘piano’という文字が沢山、プリントされていますが、その意図は?
 
 

 


 
 2010


 

4月27日(SUN)

CIRCLE WALTZ / DON FRIEDMAN (RIVERSIDE 9431)



DON FRIEDMAN (p)

CHUCK ISRAELS (b)
PETE LA ROCA (ds)

* 1962. 5. 14



 
B面の2曲目、この静かにゆったりと流れるようなテンポとグッと沈み込むようでアンニュイなメロディに、僕はほとほと弱い。‘Loves Parting’、直訳すると「愛の分れ(道)」とでも言うのだろうか?
こうしたタイトルが付く曲は大概、ややもすると痛々しく、重いムードが付き纏い勝ちですが、作曲者、フリードマンは、心の奥深い所で蠢く情感を過度に追求することなく、むしろ、精神的充実感、成熟度を描いている。ひょっとして、作曲するに当っての情景が一般的なイメージと全く異なっているのかもしれない。

 この演奏がわが国で全くといっていいほど話題に登らないのはどうしてだろう。ライナー・ノーツによると、ヨーロッパでのライブでは、かなりリクエストされたと記述されている。果たして、単に国民性、感受性の違いと片付けて済むのだろうか?
 
 この作品は、フリードマンの代表作のみならず、ピアノ・トリオ・ファン必携盤として、また、「幻の名盤読本」に掲載されたこともあり、世評は頗る高い。特にタイトル曲と‘I Hear a Rhapsody’が入っているA面が人気を博しているようだ。

 けれども、僕は、ブル-ベックの‘In Your Own Sweet Way、‘Loves Parting’、モノローグ風な入り方から一転、ソロでラプソディクに奏でるポーターの名曲‘So in Love’、そしてオリジナルのモード曲‘Modes Pivoting’でスインギーに締めくくるプログラミングの妙が際立つB面が大好き。

 フリードマンを語るとき、必ず人気、認知度、共に雲泥の差があるエヴァンスが引き合いに出されるが、少なくともB面に関して、実力はそれほどの差は感じられなく、こと‘Loves Parting’について言えば、エヴァンスのいかなる名演を以ってしても、フリードマンの描いた領域を侵すことは無かったと思う。
 
 一言で言えば、「
真の大人のロマンティシズム」かな?




2008



11月19日(MON)

QUIET KENNY/ KENNY DORHAM (NEW JAZZ 7754)



KENNY DORHAM (tp)
TOMMY FRANAGAN (p)
PAUL CHAMBERS (b)
ART TAYLOR (ds)

* 1959. 11. 13



 
モーガンの‘CANDY’、ミッチェルの‘BLUE'S MOODS’、リトルの‘BOOKER LITTLE’、そして本作が、さしずめtp・ワンホーン・人気盤「四天王」と言ったところでしょうか。まぁ、人によっては渋い一枚、ファーマーの‘ART’がどれかと入れ替わるやもしれませんが。
 
 そもそも、この難しい編制による作品自体が少ない理由は、tpをアシストするpのウエートが必然的に大きいからであろう。「四天王」を見ても、クラーク、ケリー、そしてフラナガンという人気ピアニストで占められている。特に本作のフラナガンは
‘BOOKER LITTLE’で曲によってケリーと入れ替わったり、また、‘ART’にも参加するなど、その名脇役ぶりは群を抜いている。
 
 本作はドーハムの代表作、ジャズ喫茶の人気盤として広く知られている作品ですが、必ずしも一枚岩ではありません。かって元祖・辛口批評家、粟村氏は著書「ジャズ・レコード・ブック」の中で「平凡なセッションでその人気のほどが全然理解できない」とコメントしている。僕がモーガンの‘CANDY’の良さが全く解らないのと、観点がよく似ている。

 では、僕が本作をどう聴いているか、と言うと、これが微妙。人気曲「蓮の花」を含めドーハムのオリジナル曲に関しては、結構イケルと思うし、他の一曲一曲の出来もそれなりに好演。だが、本作を一通り、聴いた後の印象が思いのほか薄いのも否定できない。なにやら、こうもり的な発言で申し訳ないが、そう思っている方も少なくないのではないでしょうか。
 
 そこで、印象を薄くしているポイントは何なのだろう、と再度、聴き直してみると、、
本作には「起承転結」が整っていない、との僕なりの結論めいたものが出ました。但し、ドーハムのせいではなく、プロデュースする側の本作に対する制作ポリシーに起因するものであることは言うまでもありません。具体的に言うと、A-4の‘Alone Together’はこの内容なら無い方が良いのではないかな。また、同じ曲調のB-2,3が続き、フィニッシュする構成もやや散漫な感を禁じえない。
ただ、新しい発見もした。誰も見向きしないB-2の‘I Had The Craziest Dream’のさりげなくも味わい深い演奏にハッとさせられる。

 最後に、「ドーハムの代表作、ジャズ喫茶の人気盤」という本作の評価、世評が皮肉にもドーハムの「過小評価」と表裏一体となっているところが真に口惜しい。
 



7月9日(MON)

SATURDAY MORNING / SONNY CRISS (XANADU 105)  



SONNY CRISS (as)
BARRY HARRIS (p)
LEROY VINNEGAR (b)
LENNY McBRONE (ds)

* 1975. 3. 1



 
よほどディープなファンでなければ、クリスをレコード上でディグした場合、活躍時期はザックリ言って、三つの時期に絞られる。一つがImperial三部作で知られる1956年、二つ目はPrestige七部作の1966〜1969年、そしてMuse二作と本作のXanaduの1975年とほぼ10年周期である。
 
 だから、クリスのBEST3を選出するとなれば各時代から一作ずつ選べばいいワケで、好みは別にして露出が多いのは、Imperialの、カヴァでスクーターの足が有り、無しの二種類の存在とそのタイトルでのお遊びジョークで知られる‘GO MAN!’、Prestigeでは5th ディメンションのヒット曲とタル・ファーローの参加で話題となった‘UP UP AND AWAY’、そして三枚目が本作と言っていいだろう。

 その三作からあまり意義があるとは思えぬが、「この一枚」を選ぶとなると、過半数の支持を受けられるかどうかは定かではないが、最終的に本作に落ち着くのではないでしょうか。

 で、本作の人気の基となっているのが、ご存知、「泣きのクリス節」が全開するアルバム・タイトル曲である。ハリスの印象的なイントロから始まるクリスのasに心の襞を擽られる。また、一曲一曲の収録時間も短からず長からず選曲が良く、POPチューンも無い事からうるさ方の口を封じているようだ。

 ところで、クリスの作品を聴いていると、いつも不思議な感覚に見舞われる。スタンダードをイノセントに、或いはラプソディクに、POPチューンを時にはエキセントリックに、バラードをブルージーに吹くクリスとそのasから放たれた音が妙に遊離しているのだ。つまり、音だけが空中に漂っている感じでクリスとの一体感が希薄なのだ。特に裏声のようにフワっとした音が出た時に強く感ずる。こうした感覚は他のas奏者では全くなく、一体化されている。

 何故だろう?こんな事を言うと「そんな、アホな」と一笑されるのが目に見えているが、敢えて言わせて頂くと、
クリスのアルトは「ニヒル」だ。カヴァもそんな感じを醸し出している。

 このニヒルさと謎めいたクリスの死と結びつけるのはあまりにも無謀過ぎるのでしょうか? 因みに、僕の一番の愛聴曲はラストの‘Until The Real Thing Comes Along’(本当のことがわかるまで)。

 ps 余計な事だが、僕は紙ジャケのCDも持っているけれど、マスター・テープの劣化なのか、リマスタリングが上手くなかったのか、問題を含んでいる。本作を聴くなら絶対、LPがお奨めです。





4月21日(SAT)

NOSTALGIA / FATS NAVARRO (SAVOY MG 12133)   





FATS NAVARRO (tp)
CHARLIE ROUSE (ts)
TADD DAMERON (p)
NELSON BOYD (b)
ART BLEKEY (ds)

*1947. 12. 5

DEXTER GORDON (ts)
FATS NAVARRO (tp)
TADD DAMERON (p)
NELSON BOYD (b)
ART BLEKEY (ds)
* 1947. 12. 22

EDDIE DAVIS (ts)
FATS NAVARRO (tp)
AL HAIG (p)
HUEY LONG (g)
GENE RAMEY (ds)
DENZIL BEST (ds)
* 1946. 12. 18


 ナヴァロは1950年7月7日、日本流で言えば「七夕」の日に結核に合わせ、ヤクという悪習により26才の若さでこの世を去っている。だが、ジャズ・トランペッターの系譜を語る上で、ナヴァロは必ずガレスピー〜ブラウンのライン上にのぼる大物、巨人として認知、評価されている。
 ただ、、その短い人生に加え彼自身、リーダーとして録音することに消極的であった事も手伝い、その音源は「巨人」のわりには思いの外、限られている。当然ながら12inchフルサイズでの純粋オフィシャル・リーダー作は一枚もない(と思いますが)。「伝説」というより「神話の巨人」と言っていいかもしれない。

 色々なセッションを集め12inch化されたアルバムでは、SAVOYの2枚、BNの2枚が一般的に良く知られている。その中で、ダントツの人気を誇るアルバムが本作。三つのセッションから成っているが、
何と言ってもタイトルにもなっているトップのナヴァロのオリジナル‘Nostalgia’である。例えが適切かどうかはともかくガーランドの「セント・ジェームス病院」と同様、一曲集中盤である。

 凡そジャズ・アルバムとは思えぬ古ぼけたベンチに一輪の野ばらとtp、楽譜を無造作というかさり気なく置いたカヴァ・デザインと愁いに満ちた‘Nostalgia’のメロディが妙にマッチし心の襞を掻き毟る。また、真っ赤に塗られたタイトルの‘Nostalgia’が意味するものは、志半ばにしてこの世を去らねばならなかったナヴァロの無念さの大きさを表しているのだろう。

 ナヴァロのtpの大きな魅力はなんといってもそのブリリアントな音色と歌心ではないでしょうか。本作の三つのセッションからもナヴァロの特長は聴き取れるが、やはり、1947年12月5日のリーダー・セッション、‘Nostalgia’を含んだの四曲が演奏内容、バランスともに一歩抜きん出ている。ラウズのtsもなかなかいい味を出しています。とは言うものの、他の二つのセッションにしても、ぐっと腹が据わったソロはナヴァロの名声を充分に裏付ける好プレイです。


 ナヴァロが活躍した時期と限られた音源のため、その名を聞いたり見たりする事はあっても、実際に聴くチャンスは意外に少ないやもしれませんが、未聴の方は、是非、一度、本作を聴いてみてください。翌朝、出勤途中の駅のホームで、或いは、会社のエレベーターの中でこの‘Nostalgia’のメロディを必ず思い浮かべるでしょう。

 記録としてはBNの‘THE FABULOUS vol.1/2’の方が上だが、記憶としてはこの‘NOSTALGIA’が上だろう。




2007




12月4日(MON)

PAGE ONE / JOE HENDERSON (BLUE NOTE 4140)   



KENNY DORHAM (tp)
JOE HENDERSON (ts)
McCOY TYNER (p)
BUTCH WARREN (b)
PETE LA ROCA (ds)


*1963


 僕はジャズ喫茶の人気盤というこのレコードを長い間、疎んじてきた。別にヘンダーソンが嫌いだからではないし、サブ・リーダーのドーハムも然り。むしろ好みのタイプなのに。

 じゃー、如何してかと言うと、猫も杓子もヒット・チューン‘Blue Bossa’の一曲で以って本作の全てを語ろうとする風潮に対する嫌気みたいなものかもしれない。加えて言うならば、出だしのドーハムのトリッキーと言うか、おふざけ?プレイなど、まぁ、あまり感心していなかった。
 
 ところが、ある日、何気なくB面に針を降ろしてみた(多分、初めて)ところ、睡眠不足のせいか、はたまた、‘Recorda-Me’の軽やかなボサ・リズムに乗って肩の力の抜けたジョー・ヘンのtsに直ぐウトウトしてしまい、暫くして素晴らしくノリの良いピアノ・ソロに目が覚めた。ふとターン・テーブルを見ると2曲目であった。それから、また、ウトウト。今度は実に堂々としたtsに目が覚め、一瞬、ジョー・ヘンの作品を聴いていることを忘れる有様でした。

 で、今度は、正気で聴いてみた(笑、B面)。そして、長年、本作を疎んじてきた自分を恥じた(大汗)。本作のキー・ポイントは、このリズム・セクション。ラ・ロカの叩き出すというか、弾き出すしなやかなビートに乗って、バッキングにソロに好プレイを連発するタイナーが出色の出来です。シビアな聴き方をするとやや煌びやか過ぎるきらいも無きにしも非ずですが、本作は成功と思う。
 
 フロント・カヴァでは契約上の問題?かもしれないが、「ETC」と表記された(NIGHT DREAMER/WAYNE SHORTER 同様)McCOY TYNERの存在が大きい。勿論、バック・カヴァではきちんとクレジットされている。

 ‘Jinrikisha’では、まるで京の大路を全速力で疾走する人力車をイメージさせるスムーズなジョー・ヘンのtsが真に心地よい。又、タイナーとラ・ロカのコンビネーションも抜群。

 さて、
極め付きは世評高いトップの‘Blue Bossa’ではなく、ラストの‘Out Of The Night’。この丸ごとアフター・アワーズの雰囲気のなか、悠揚迫らぬジョーのtsは如何だ!これこそ、ジョー・ヘンの本質だったのではなかったか。ここでも、珍しくファンキーなタイナーのpが聴きものです。

 自分にとって、このレコードは「青春の蹉跌」のような存在。皆さんもB面を聴いて下され。
 



10月5日(TUE)

                   BLOWIN’ THE BLUES AWAY / HORACE SILVER (BLUE NOTE 4017)       



BLUE MITCHELL (tp)
JUNIOR COOK (ts)

HORACE SILVER (p)
EUGENE TAYLER (b)
LOUIS HAYES (ds)


*1959


 20年?位前、否、そんなに前ではないかもしれないが、
大阪・心斎橋に「ミュージック・マン」というジャズ専門の円盤屋があった。雑居ビルの一角の狭い店でしたが、出張を兼ねてというより、店に行くのが本当の目的で時々通っていた。

 たまにセールの初日に行こうものなら、部屋の温度は40℃を越しているのではないかと思うほど熱気に溢れ、レコード漁りの流儀を痛いほど教えられた。まぁ、格闘技ですな。まず、手ぶらと、薄着が絶対条件で、半端な気持ちでは獲物は得られません。僕の場合、それはムリなので結局、大した収穫はあまりなかったが、普段の時はそれなりに楽しむ事ができた。

 ある日、アルバム・カヴァも盤質もミント状態のモノ盤の本作を見つけ、値段が意外に低かったので、やや小太りの店の男性に、そのワケを聞いたところ、「2ndプレスだよ」と素っ気無い返事が戻ってきた。オリジナル盤の判別方法にそれほど詳しくなかった事もあり、素直に納得、購入(それまではリバティ、ST盤)。因みに、センターレーベルのアドレスは‘47 WEST 63rd・NYC’だがバック・カヴァでは‘43 WEST 61st St.,New York 23’となっている。
 
 本作はあのシルバー・無敵艦隊(フロントがミッチェル、クック)の第2作目で、なんと言っても、下の‘OVERSEAS’でも触れている通り、B面トップの‘Sisiter Sadie’がダントツの人気曲である。今から思えば、僕が初めて、「モダン・ジャズ」を認識した演奏と言える。

 それにこのPAULA DONAHUEの手によるドローイングのカッコいい事!
どんな写真を使っても、恐らく本作のエネルギーを十分に伝えられないのに、このドローイングはものの見事に伝えている。僅か30cm角の世界にイスをギシギシ鳴らしながら髪を振り乱し、手足を踊らせるシルバーを描き切っている。
また、「音」自体もそうである。カッティング・レベルが高いので、SPの能率、カートリッジの出力にも関係しますが、僕のプリ・アンプのレベルは8時半で充分過ぎる。

 本作について多言は無用、
「熱血純情ファンキー酒場」とでも言うのでしょうか。うぅーん、今にもシルバーの汗が降りかかってきそうである。但し、録音に異例の三日間も掛けただけにラフな汗とはモノが違う。




8月18日(FRI)

                   OVERSEAS / TOMMY FLANAGAN (PRESTIGE LP 7134)       



TOMMY FLANAGAN (p)
WIBUR LITTLE (b)
ELVIN JONES (ds)


*1957


 
その昔、高校生(中学生?ではないなぁ)の頃、深夜放送でジャズを流す番組があった。勿論、ジャズに関心も興味もない時なので、積極的にチャンネルを合わせるのではなく、偶然、流れたものをたまたま聴いていただけだった。だから、番組名など知る由もなかったが、何故か、二つだけ記憶に残っていた。一つはテ−マ曲が実にかっこ良く、後から分かった事だが、H・シルバ−のヒット曲「シスタ−・セディ−」、もう一つは、そう、リクエストで掛かった本作の「ウィロ−・ウィ−プ・フォ−・ミ−」。驚くことに「オヴァ−・シ−ズ」、「トミ−・フラナガン」の名までも憶えていた。英語の単語、文法や数学の公式はすぐ忘れたのに。
嘘のような話だが、本当なんです。

 本作はご存知の通り、ストックホルムで録音されたメトロノ−ム原盤で、入手が困難だったこともあり、70年前後から俄かに湧き上がった「幻の名盤」ブ−ムのきっかけになった作品である。左のカヴァ−はPRESTIGEからリリ−スされたもので、なかなか粋なデザインである。


 僕のようなチンピラ如きが内容について云々する必要はないが、かって故・植草甚一氏が59年頃にこのPRESTIBE原盤を逸早く手に入れ、よく友達に‘Little Rock’を聴かせていたそうです。

 大学に入り、ジャズを聴き始め、テイチクからユニオン・レ−ベルで発売された国内盤(カヴァ・デザインはフラナガンの横顔)を聴くに及んで初めてこのレコ−ドの全貌を知ったワケである。フラナガンの初リ−ダ−作らしく溌剌として気高いプレイとともにエルヴィンのブラシに専念しながら挑戦的なドラミングが聴きもの。
 そんな中、‘Willow Weep For Me’は別格としてB・ストレイホ−ンの代表作‘Chelsea Bridge’が大好き。凛とした叙情性が心の奥まで沁み込んでくる。‘Verdandi’もいいなぁ。


 ジャズのジャの字も知らない一少年にラジオから一聴しただけで「オヴァ−・シ−ズ」、
「トミ−・フラナガン」、「ウィロ−・ウィ−プ・フォ−・ミ−」の名までインプットさせたものとは一体何だっのだろうか。
 

 
これが、真の名盤の持つ「神通力」なのだろう





5月18日(THU)

                 SPIRITUAL UNITY / ALBERT AYLER (ESP 1002)          



ALBERT AYLER (ts)
GARY PEACOCK (b)
SUNNY MURRAY (ds)


*1964
 

 
尋常ならざる演奏である。と言ってもほぼリアル・タイムで初めて聴いた時と、今、改めて聴いた場合ではその衝撃度は比べものにならない。耳がタフになったのではなく、冷静に聴けるようになっただけだろう。当時、多くの人達?がそうであったように、僕なんか、耳から内視鏡でも突っ込まれたかのような激痛にも似た不快感に襲われたものだが、その異様さを如実に伝えるこんなエピソードがある。

 
演奏がはじまると、びっくりした録音エンジニアはコントロール室から逃げ出し、テープがなくなるまで戻ってこなく、しかもテープはモノラルで録音されていた。てっきりデモ・テープ用の演奏と思い込んでいたからだそうである。レコード・マニア風に言えば、本作に「ステレオ盤」は存在しないことになる。

 それは兎も角、この尋常ならざる演奏に深い感銘を受け、直ちに共鳴する人達もかなりいたもの事実。40年近くも前、正に「モダン・ジャズ灼熱の時代」を象徴する衝撃的な問題作であった。だが、冷静に聴くと本作は「前衛ジャズ」から想像する「最初はヨーイ、ドン。後は成行きまかせ」といったイメージとはまったく正反対の実にコントロールされた世界が構築されており、そこがアイラーのみならず「前衛ジャズを代表する名盤」と言われる所以だろう。
 
 確かに、マレイのそれまでのビートを叩き出す従来のドラミングと異なるパルシブな奏法とヴァイブレーションを効かせ、大胆なほどデフォルメされたアイラーのヴォイスとも言えるts、そして両者を有機的に結びつけるピーコックの独創的なbからなるこのトリオから「既成のジャズ美学」を感ずるのは極めて困難である。だが、アイラーが黒人の伝統的文化の一つであるニューオルリンズ・ジャズに自分達のルーツを見出し、己のメッセージを現代的再生を通じて表現したものと気付けば、自然と納得のいくものである。


 アイラーの初吹き込みは62年10月のストックフォルムでの‘THE FIRST RECORDINGS vol.1,vol.2’、そして最後は70年7月の南仏サン・ポールでの‘LAST RECORDING vol.1,vol.2’。いずれもライブであった。僅か8年間の活動だがその足取りはそのまま「前衛ジャズの軌跡」として永遠に刻まれるだろう。一度は聴くべし。

 ps 「ESP」とはエスペラント(Esperanto)の頭の3文字から取られている。デンマーク人のバーナード・ストールマンによって設立された「ニュー・ジャズ」専門のマイナー・レーベル。



3月9日(THU)

                 CONCIERTO / JIM HALL (CTI 6060)         



JIM HALL (g)
CHET BAKER (tp)
PAUL DESMOND (as)
ROLAND HANNA (p)
RON CARTER (b)
STEVE GADD (ds)


Arranged by Don Sebesky

*1975 
 

 名盤?とんでもない。「俗盤」である。敢えて名盤を付けるならば「こんな名盤は要らない」代表例である。初期のCTIはミュージシャンの隠れた才能を引き出す事に巧みなクリード・テイラーの並外れた感性により、聴くべき作品が列挙されるが、この頃になると100%「売れ線」を狙った作品が目立つようになる。
 
 と言うのも、この録音の前後に、テイラーは販路拡大のため、「モータウン・レコード」と契約を結んでおり、謂わば「粗製濫造」への道を歩き始めている。その契約には、例えば、年間に何枚リリースするという内容も盛り込まれており、枚数を満たすためテイラーは過去、ボツにしたテイクまで発表せざるを得ない状況まで追い込まれ、最後は、モータウンから契約違反により提訴される始末であった。因みに、国内盤LP、CDに記載されているかどうかは知らないけれど、当時の輸入LP盤には‘'Distributed by Motown Record Corp’と記載されている。念のため。

 そうした裏事情を抜きにして聴いてみても、この作品から得るもの、感ずるものは
「追い焚きを必要とするぬるさ」以外何もない。これだけの名手達が揃って、これだけか?と言わざるを得ない。まさか、録音テクニックの向上から当時、盛んに行われていた所謂「オケ録り」がされたかどうか定かではないが、極めてスムーズな演奏が展開されている。それもこれも全て、本作の「制作ポリシー」から生ずる結果であり、名手達が故に、そのポリシーに忠実に従えたワケである。
 また、穿った見方かもしれないが、本作は日本のマーケットを狙ったかのような曲構成がなされている。

 「ジャズ構造改革」なんてエセものにして名ばかりのチャらしい談義をするヒマがあったら「こんな名盤は要らない」を論議したほうが、よほど構造改革に繋がるのではないか。失笑を買うだけである。
 「マイルスを聴け、エバンスを聴け」と自分を安全地帯に置きながら、今更、なにが構造改革なんでしょうかね。「MJQを聴け、ミンガスを聴け、モンクを聴け」でも書いてみては如何でしょうか?
 



2月4日(SAT)

                 BLUE’S MOODS / BLUE MITCHELL (RIVERSIDE RLP 336)          



BLUE MITCHELL (tp)
WYNTON KELLY (p)
SAM JONES (b)
ROY BROOKS (ds)


*1960
 

 名盤である。但し、名作、傑作と言った類いのものではなく、有名盤としてである。この雰囲気あるアルバム・カヴァーが殊のほか評判がよい。また、トップの‘I'll Close My Eyes’のチャーミングな演奏も人気がある。

 だが、別にケチを付けるつもりはないが、アルバム・カヴァーに関して言えば、どうせポーズを決めるなら左手のタバコ・ケースを何とかして欲しかったなぁ。まぁ、この小さな物体のお陰で、急に陳腐に思えるのは僕だけかもしれないが。
 一方、‘I'll Close My Eyes’はどうかと言うと、メロディの宝庫とばかりベタ褒めする向きもあり、タツローまでもちょっと失敬するほどで、つい「あなたの〜、思わせ振りなくちづけは〜・・・・・・」と口ずさんでしまうが、初めて聴いた時の好印象が意外に早く褪色してしまうのも残念ながら否定できない。

 勿論、本作の制作コンセプトは、メンツと選曲で大方判る様に、問題作、話題作、力作ではなく、いい意味での聴き心地良さを狙ったものである。しかし、このアルバム全体に言える事だが、思いのほか、懐、底が浅い。せいぜい、最初の3曲までと言う人もいる位です。もし、ジョーンズの無骨?なギシギシ・bが無かったら、と思うとゾッとする。

 じゃー、どうして人気盤なのか?と言うと数少ないtp・ワンホーンものが大きな要因であり、そうした観点から聴けば、本作の価値は上がるだろう。

 いろいろ悪態をつき、気分を害したファンも少なくないと思いますので、僕がオススメする
tp・ワンホーンものでも聴いて気分を治して下さい。
 なぬ、余計、気分が悪くなった!って。
うぅーん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、 それじゃー、あまりにも「さ・み・し〜過ぎる〜」


2006



12月21日(WED)

                 IDLE MOMENTS / GRANT GREEN (BLUE NOTE 4154)          *1963 
 

 初めて本作のタイトル曲を聴いた時、その退屈感と長さに閉口し、頭からスコーンと抜けていたが、10年位後の70年代後半、本作がジャズ喫茶の人気盤という噂を耳or目にし、慌ててレコード屋へ走った。手に入れたのは当然、再々発のリバティ(ジャケット)/UA(ラベル・青ベタ・オタマ)盤だったが、まず「音」の良さに驚いた。ピーンと張った弦からまるで生き物のように弾き打されるグリーンのgにコロッと参ってしまった。

 また、トップの‘Idle Moments’のこのアンニュイさは何と表現したらよいのだろう。よく言われるジャズ版演歌とは、当らずとも遠からずだが、タメ(こぶし)の利いた各人のソロは、人気盤になるのも当然と思われほど日本人の感性を擽る。しかし、そうなるまでに10年近くの年月を要したのではないか? リアル・タイムでは殆ど注目されていなかった、と記憶している。皮肉ぽい言い方をすれば、それだけジャズ・ファン気質が軟化したとも言えるだろう。 
 
 さて、グリーンは硬派の方々から、モンゴメリー、バレル、ホールといった一流達と比較して、ワンランク下に位置付けられているが、ブルース・フィーリングを出させたら、彼の右に出る者はいないのではないか。そうした見方をすれば、グリーンはやはり一流と思う。本作は、前々作‘FEELIN' THE SPIRITS’ような「ブルース&ゴスペル」丸出しではなく、よりジャジーな面を強調している。つまり、4人のソロイストに力点を置いているワケだ。

 全4曲中、一番聴き応え有るのは、僕は‘Idle Moments’ではなく、ラストのピアソン作‘Nomad’じゃないか、と思う。ちょっとエスニック調のテーマの後、ポンと右チャンネルから飛び出すジョー・ヘンのテナー・ソロ、その音色といい、要所でヒネリを入れた滑らかなフレージングといい、イヤー、良いですねー。その後のボビ・ハチ、グリーン(後半の畳み掛けるような乱れ?弾きが聴きもの)、ピアソンとまるでリレーのバトン・タッチのような展開が実に心地良い。

 ジャズ喫茶の人気盤というが、ひょっとして‘Django’も入っているB面の方がよくリクエストされたのではないかなぁ?それと全篇、SPのセンター・やや上部から流れるヴァイブのボビ・ハチが意外なキー・パーソンに聴こえる。否、ライオンにしてみれば、「想定内」だっただろう。

 ps 一人きりのクリスマス・イヴは本作とバーボンの逸品「ブラントン」がオススメ。
   二人だったら? 尚更、オススメしますよ。だって‘IDLE MOMENTS’ですもの
   (ウィヒヒヒ・・・・・、嫌な奴!)。




10月13日(THU)

          ART PEPPER MEETS THE RHYTHM SECTION  (CONTEMPORARY S 7532)   *1957 
 
 「耳タコ」、否、「目タコ」ができるほどの超人気・有名盤。だが、識者,ツウの間では必ずしも足並が揃っているワケではない。
ペッパーのBEST・3アルバムから本作を外しているガイド・ブックも少なくない。他にもっと優れたアルバムが有るという見解だが、トップを飾る‘You´d Be So ・・・・・・・’によるミーハー的「一家に一曲」みたいなイメージに嫌気がさしたのも否定できないだろう。それほどにこの一曲は人口に膾炙している。
 例えば、‘You´d Be So ・・・・・・・’以外の曲を尋ねられても、即座に反応できず答に窮するファンが思いのほか多いのではないか。ひょっとしたら‘Imagination’ぐらいかもしれない(勿論、‘Red Pepper Blues’、‘Tin Tin Dio’、‘Star Eyes’・・・と答えられるファンもいるだろうが)。
 この‘Imagination’、ペッパーのasがメランコリックに歌い、本作の中でも特異な存在。ピアノ・ソロに入ってから、右チャンネル(ステレオ盤の場合)より、ガーランド or フィリー(多分、ガーランド)の「アゥー」といううめき声が発せられるあたり、なんとも言えずちょっとゾクとします。それに、ガーランドのあのブロック・コード、ペッパーのカデンツァ風のエンディングも決まっている。
 
 ところで、本作のレコーディングに際し、興味あるエピソードが紹介されていますが、ペッパーがイニシアティブを取っているように配列されたA面を聴く限り、俄かに信ずるにはいかないほど、双方、しっくり融け合っている。少なくとも「一期一会」的セッションであったとは到底、考えも及ばないのでは。
 
 本作の聴きものは確かに冒頭の‘You´d Be So ・・・・・・・’に違いはないけれど、リズム・セクションがペッパーと互角に渡り合うB面の2曲目、キューバの天才打楽器奏者、チャノ・ボソが書いた‘Tin Tin Deo’からパーカーの名演で知られる‘Star Eyes’、そしてガレスピーの代表作‘Birks Works’にかけてのラスト3曲が本作の隠れた聴き所。
 フィリーがいかにもイースト・コースト派らしいドラミングを叩き出し、ガーランドもチェンバースも骨っぽいソロを聴かせ、それに応えるペッパーも奔放なソロを展開する。
 
 レコードにはA面、B面がある。A面が聴かれる頻度は明らかにB面より多い。とすれば、当然、専属プレイヤー、ペッパーがより浮かび上がっている演奏がA面に配列される。
 しかし 本来、結果的に「一期一会」であったのこのセッションの醍醐味は、むしろ、完成度云々はともかく、A面と異なり危ういシーンさえも孕みながら4人が対等に競い合うB面のこの3曲に秘められているのではないか。
 
 つまり、本作が「一家に一曲」レベルで終るか、それとも「一家に一枚」の称号に値するかどうか、それは、聴き手次第かも。

 ps 木立の中、黄金色に輝くasを肩にした色男、ペッパー。だが、良く見ると、どことなく視線の定まらぬ目元に、微かながら麻薬の影が映っている。




8月25日(THU)

                 FULL HOUSE / WES MONTGOMERY (RIVERSIDE  RS 9434)    *1962 
 
 英文ライナー・ノーツによると、当時、モンゴメリーはサン・フランシスコに来ており、湾を
挟んだバークレーのコーヒー・ハウス‘Tsubo’で自分のグループを率いて演奏活動をしていたところ、丁度、M・ディビス・セクステットもサン・フランシスコに来ており、更にグリフィンまでも居たという。そこで、マイルスのリズム・セクション(ケリー、チェンバース、コブ)をバックにモンゴメリー、グリフィンのクィンテットによるライブ録音が実現したというワケだ。
偶然とはいえ正に
「奇跡の一枚」と言っていいだろう。

 さて、内容は、というとこれが驚くべき事に、ややもするとブローイング・セッション気味に陥りやすい状況なのに、少なくとも収録された6曲からはそうした気配は全く感じられず、熱気に満ちた実にまとまりのある演奏が聴かれる。さすが一流のジャズメン揃いです。

 本作は、僕が初めてモンゴメリーを聴いたレコードで、オープニング・ナンバー‘Full House’でのモンゴメリーのソロを聴き、その音色、ボリューム感、グルービーなフレージングにビックリ、仰天。これでは他のギタリストはもう聴けないなぁ、なんて思ったものでした。
まぁ、幸い?にもそうはならなかったが、衝撃的だった事には違いない。

 この快調なワルツ曲‘Full House’やリズミカルな‘Cariba’を始め、聴き応え充分な演奏が続く中、
本作のベスト・トラックは誰も言わないけれど、スタンダード・ナンバー‘Come Rain or Come Shine’と僕は思う。テーマをチョット崩したモンゴメリーのgの後、「風に吹かれて」調のグリフィンの意外に軽妙なテナーが良いし、歌心溢れるモンゴメリーのプレイにただただ聴き惚れ、コントロールの利いたケリーのソロも小粋だ。
地味ながら本トラックは同曲の「隠れ名演」です。




6月18日(SAT)

                 UNDERCURRENT / BILL EVANS (SOLID STATE  SS 18018)    *1962 
 
 本ジャケットは1966年、UA(ユナイテッド アーティスト・レコード)のジャズ専門レーベルとして発足したソリッド ステート・レーベルから再発(1968年)され、手に入れたもの。オリジナルはUAのUAJ 14003(mono)、15003(streo)である。以前より‘My Funny Valentine’の超名演として定評のある作品である。
 
 今では誰も言わなくなったし、殆んどの人が知らない(?)ようだが、その昔、この‘My Funny Valentine’は本番ではなく、リハーサル中、二人が突然に同曲を演りだし、たまたま、テープも廻っていた偶然の産物で、これぞインタープレイ、インプロヴィゼーションの神髄みたいに絶賛、紹介されていた。異例のスピードで演られているため、そう思われたのかもしれないが、僕は初めて聴いた時から疑問に感じていた。
 それと録音時期が当初、1959.5.15というのも、エヴァンスのタッチ、ホールの時折聴かれるホーン・ライクなプレイに当時から引っ掛かりを覚えたものだ。
 
 後年、CD化(?)されるに当り、
二つとも訂正された「曰く付き」の作品である。そういう事情もあり、この再発盤をオリジナル盤に買い換えなかったし、これからもするつもりもない。「音」も悪くない。

 さて、そうした「曰く」抜きにして聴いてみると、どうだろう。
これまで、いろいろな方が既にコメントされているので、今更、触れる事もない好演揃いである。敢えて言うならば、エヴァンスより、ホールの存在の方が大きい、と僕は思う。当時、ロリンズのグループでの経験が自信になっていたのだろう。

 ps 疑問に感じた事を無理やり活字に合わせる必要はない。いずれ氷解する時が来る。合わせようとすればするほど「クタクタ」に疲れるだけだ。





6月4日(SAT)

                  SWEET RAIN / STAN GETZ (VERVE 6-8693)     *1967 
 
 ゲッツの日本での一般的な評価、人気は「キセル」のようなもので、前期(50年代)と後期(80年代)に集まっている。要するに60年代初めのボサ・ノバ盤〜70年代のフュージョンぽい作品については辛口な意見が多いようだ。本作はそんな中、発表当時、かなり評判を得た一枚で、ゲッツのベスト作の一枚に挙げる人も少なくない。

 まず、アルバム・カヴァーとタイトルがいい。さすが、クリード・テイラー、ツボを心得ている。聴く前から、こちらの気持ちが溶け込んでしまいそうである。また、新進ピアニストとして注目を浴びていた頃のコリアの参加も魅力である。ゲッツのふくよかで透明感のあるテナーとコリアのキラキラしたピアノ・タッチがよくマッチしている。

 僕は、本作にも入っている
ジョビンの‘O Grande Amor’が大好きで、昔はA面ばかり聴いていましたが、最近、B面の‘Con Alma’、‘Windows’をよく聴くようになりました。演奏自体の出来はB面の方が上だろう。但し、‘Con Alma’でテーマ部分でG・テイトが叩くポリリズム?はいただけない。煩く聴こえ、以前はすぐ針を上げていた。しかし、そこを我慢すると、今度はビートに乗ってゲッツのブローが全開する。‘Windows’でも同様にゲッツにしては骨太なソロを聴かせる。

 傑作、名盤と言うには及ばないものの、60年代のゲッツを語る上では欠かせない一枚と思う。また、愛聴しているファンも多いだろう。




4月24日(SUN)

                 SUBCONSCIOUS-LEE / LEE KONITZ (PRESTIGE LP 7004)   *1949 1950
 
 半世紀以上も前の作品である。しかし、そのデータを知らず、これが50年先、否、100年先のジャズだ、と言われても納得のいくまさに「時空」を超えた一作。僕如き、チンピラがコメントするなんて、おこがましい気がする。
 
 アルバム・タイトルは‘LEE KONITZ’だが、‘サブコンシャス・リー」で通っている。4つのセッションから成立つ本作はそれまでSP、10inchLPに分散されていた音源を12inch化されるに当たり一つに統合されたもので、本来はトリスターノのリーダー・セッションである「1/11/49」分の‘Subconscious-Lee’をトップに据えたからである。
 
 なお、この「1/11/49」のセッションは、プレステージ・レコードの記念すべき初録音でもあり、何かと評判の宜しくない創業者、ボブ・ワインストックの先見性を窺わせる。なんでもそうだが、創始者、創業者とは、やはり並外れた感性を持っているようだ。
 
 本作は、所謂「クール・ジャズ」のカテゴリーに入る代表的な一枚であるが、演奏自体の表面上の内省的なシャープさとは打って変って、まるで地中の深い所で燃え盛る「マグマ」のように実にエモーショナルである。
 表題曲‘Subconscious-Lee’からいきなり、コニッツの青く燃えるasが聴かれる。当時、わずか22才。全編、若さの発露だけでは到底、説明のつかぬ恐ろしいほどの集中力に言葉を失う。
「あの頃の自分は、何かに取り憑かれていたようだ」と後に回想した一言が、本作の全てを表している。コニッツの家にはパーカーの写真が一枚飾ってあるという。表現方法は異なっても、根っこの部分はやはり繋がっている。改めてパーカーの偉大さを思い知らされる。

 最後に、余計な事かもしれないが一つ。
本作はジャズの初心者、ビギナーが真っ先に聴くべき一作である。また、未だ本作を聴いていなくて、ガイド・ブック漬けから逃れられない「迷えるジャズ・ファン」にもお勧めである。

 ps  先日、CDショップでガイド・ブックを片手に頭を掻きながら、一生懸命にCDを探している方を見かけた。よく考えてみると、この頃が一番、楽しい時期なのかもしれない。しかし、コピー人間の増大だけは、勘弁して欲しい。




3月8日(TUE)

 BLUES ette / CURTIS FULLER (SAVOY  ST 13006)   *1959   
 
 あの頃、僕は京都下鴨・洛北高校近くに下宿していた。ジャズには、全く興味が無く、当時、ラジオ、TVで流される音楽といえば、ジョーン・バエズを代表とするフォーク・ソングや、国内でブームとなっていたグループ・サウンズ(ピンキー&キラーズ、ブルー・コメッツ、etc)であった。

 そんな時、いつも聞いていた近畿放送のラジオから
「モダン・ジャズ界の黒い牽引車、ジョン・コルトレーンの初来日、京都公演○月○日)という案内が何度、何度も繰りかえされた。勿論、初めて聞く名前だったが、何故かインパクトがあり、今でもハッキリ憶えている。
翌日の新聞に写真入りでそのコンサートの模様が出た。壮絶な演奏に、グッタリとシートにもたれ掛かった聴衆の姿が写し出されていました。一体、どんな演奏だったのだろう、と興味は湧いたが、即「モダン・ジャズ」に興味を持ったワケではない。だが、この時、僕と「モダン・ジャズ」の距離は確実に縮まっていた。
 
 その年の暮れ、いつも行く銭湯で服を脱ぎかけた時、ジャズ番組だったのだろう、店のスピーカーから、ジャズが流れ始めた。指が止まったまま、一曲聴き終えた。
‘Five Spot After Dark / Curtis Fuller’の名は頭にインプットされた。それから、4ヶ月あと、あの‘しぁんくれーる’の扉を開いたのだ。

 「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」、なんてイイ響きなんだろう。「名は体を現す」というが、正に名曲にして名演奏だ。この曲を聞く度に、あの銭湯を思い出す。おそらく、今は無いだろう。


 ps その後、3年間、‘しゃんくれーる’に通ったが、不思議な事に本作がかかった記憶がない。レコード・リストには、勿論、載っているが、誰もリクエストしないのである。何度もリクエストを出そうとしたが、その都度、躊躇した。僕の思い過ごしかもしれないが、当時の‘しぁんくれーる’には、本作のような50年代のジャズを許さない?ようなシビアな雰囲気が充満しており、いつも新譜や尖がったジャズが巾を利かせていた。手前味噌だが、鍛えられた。
 
 また、
こちらもご覧ください。




2月15日(TUE)

        WHEN THERE ARE GREY SKIES / RED GARLAND (PRESTIGE PR 7258) *1962   
 
 愛称「セント・ジェームス病院」。ここには、かって、「ザ・リズム・セクション」と謳われた時代のガーランドの姿はない。マッカーサーの「老兵は死なず、ただ立ち去るのみ」ではないが、この年、JAZZLANDに2枚、そして本作を最後に71年、MPSに再起の吹込みをするまで、長い冬眠生活(レコード上)に入る。
 覚えにくいアルバム・タイトルでは誰も?呼ばないほど
‘ST.James Infirmaryに一極(曲)集中盤である。なぜだろう? それほどのガーランド・ファンでなくても、この演奏だけは、お気に入りのようです。親しみ易いメロディをこれ以上遅くても、早くても、ダメ、という絶妙のテンポで淡々と弾き語るガーランドの前に理屈は退散するしかないようだ。この頃になると、スロー・バラードを情緒纏綿と綴るスタイルで勝負するタイプに転換し始めたが、時代が悪すぎた。
このジャケットも見ようによっては、「人生の黄昏」を感じないワケでもない。

 僕は、本盤を2ndプレス?(紺・ライトロゴ)で持っていたが、随分前、このレコードを欲しがっていた知合いと、ある賭けをし、負けて手放すハメになった。そこでやむなく国内盤を手にしたが、「音」がまるで違う。国内盤は「音」が寝ている。
聴きものの
‘ST.James Infirmary’で、一番、美味しいポイントでもあるパーシップのブラシがサッと入ってくる所が全く生きていない。本盤はオリジナルか2ndでないと本当の良さが解らないと思う。その後、オリジナルか2ndをずっと探しているが、サッパリ縁がない。まぁ、伊達や粋狂で「賭け」などするものではない、との戒めと受け止めている。その点、CDの「音」はどうなんだろう?

 話が横道に逸れてしまったが、最終曲、12分にも及ぶ‘Nobody Knows The Trouble I See’はひょっとして、当時のガーランドの心境そのもので、「冬眠」への隠れメッセージだったのではないだろうか。

 ps  LPでは曲目記載の項で‘I Ain't Got Nobody’が抜けている。




1月28日(FRI)

          SONNY ROLLINS WITH MODERN JAZZ QUARTET  (PRESTIGE LP 7029)   *1951 1953   
 
 「サキコロ」が「恐るべき傑作」と言うならば、本作はさしずめ「恐るべき初リーダー作」とでも言うのだろうか。但し、同じ「恐るべき」でも「サキコロ」の聴くものを平伏させる圧倒的なインプロヴィゼイションの極致ではなく、50年以上経った現在、何度聴いてもその都度、新しい発見、新鮮さを感ずる類い稀な作品という意味である。
 
 本作は正確にはタイトルと異なり別々の3つのセッションで構成され、通称「スロー・ボート」で親しまれている。だだ、紹介される毎に、判を押したようにカルテットで演奏される‘Slow Boat To China’、‘With A Song In My Heart’やマイルスがpを弾く初リーダー録音‘I Know’の1曲についてのコメントばかりが目につきますが、本当のキモは、ロリンズのアドリブが51年1月(1曲)、12月(8曲)、53年10月(4曲)と
録音を重ねるごとに表現力とスケールを増していく所を聴き取る事である。ここを聴き逃すと本作の価値が半減してしまう。勿論、‘Slow Boat To China’、‘With A Song In My Heart’が名演であることにやぶさかではない。
 
 また、聴くにしたがい、同じ12月の‘Shadrack’、‘Mambo Bounce’や、また、53年のセッションにも関心が移っていくのもごく自然の成り行きで、そこが本作の「恐るべき」所以である。つまり、ビギナーから、中級、そしてベテラン・ファンまで、聴くたびに感銘を受ける稀有な作品なのだ。


 ロリンズ、青春時代(20〜23才)、悪習にもがきながらの記録である。

 最後に付け加えさせていただくと、僕は、
誰も褒めない‘Time On My Hands’、‘This Love Of Mine’の二つのナンバーにメロメロなんです。特に後者は二十歳そこそこの若者の人間技とはとても思えない。これらの曲をバックにナイト・クラブで愛する人と頬を寄せてダンスでもできたら、もう最高ー。イヤー、妄想、妄想ですよ。 


2005





12月15日(WED)

KELLY GREAT / WYNTON KELLY  (VEE JAY VJLP 304)    *1959   


 人生、誰しも上り坂があれば、下り坂もある。1959年、ケリーは正に上り坂の真只中であった。この些か能天気なジャケット然りである。本作は、かって「幻の名盤読本」に掲載され、また当時、まだ権威のあったSJ誌「ゴルード・ディスク」にも選出され、肩書きだけなら数ある名盤中、トップ・クラスの一枚。しかも、メンツは、ジャズ・メッセンジャーズとマイルス・グループのメンバーとなれば、もう、これ以上何も言うことはない。
 
 だが、
世評はどうかといえば、必ずしも絶対的なものではない。「良い」と言う人がいれば、「大したことない」、否、「聴きたくない」と言う人さえいる。そのターニング・ポイントは、ショーターの存在である。露天風呂気分ではじまるトップの‘Wrinkles’で大方、決まる。ブルース曲である。ショーターはブルースが苦手だ。苦手というより、そもそもブルース・フィーリングが希薄なショーターのゴルソンほどでは無いにしても「初めは処女の如く、終わりは脱兎の如く」奇天烈なソロを聴き手がどう捉えるか、それだけのことである。反面、自作の2曲目になると、俄然、本領を発揮してくる。行き着くところは、好みの問題か?なお、僕の知る限りでは、本セッションがショーターの初レコーディングとなっている。その割りにふてぶてしいプレイが印象的である。
 
 まぁ、あまり深く考えず、「モダン・ジャズ黄金時代」を象徴する一枚と、懐かしんで聴いてみたい。

 僕の持っているこのLPは、70年代初頭?、VJインターナショナルから、突然、再発された黒ラベル(ツヤあり)。久しぶりに聴いたところ、「音」がやや粗っぽいものの、鮮度が良く当時の熱気を充分に伝えてくれる。ケリーのクリーンなpもいいが、モーガンのミュートが耳の鼓膜を甚く刺激する。ふと、ラスト曲‘Sydney’など、モーガンのミュート・ソロが聴けたらなぁ、と思う。
 




9月30日(THU)

                    DIPPIN’/ HANK MOBLEY (BLUE NOTE 4209)      *1965
 
 本作ほど僕にとって摩訶不思議なレコードはない。と言うのは、本作がいろいろな所で紹介される度に、「ジャズ喫茶で流れない日はなかった人気盤」とか「モブレー最大のヒット作」等が枕詞のように使われているが、僕自身、全くそんな認識が無いのだ。レコード番号から推察すると恐らく66 or 67、68年あたりにリリースされているはずだが、当時、リアルタイムでダンモを貪っていた僕は、ジャズ喫茶はもとより、ラジオのジャズ番組でも本作を聴いたことが無かったばかりか、存在すら目や.耳にした事も無かった。
 
 72年2月号のSchwannをみると「サイドワインダー」、「ソング・フォー・マイ・ファーザー」等のBNのヒット作は勿論、本国では評価が低かった「クール・ストラッティン」まで、ちゃんとレコード番号が載っているいるのに、本作の番号は載っていない。しかも半年後に録音された4230(A Caddy For Daddy)は載っているのだ。つまり、本作がレコード番号が決まっていながら、リリースが
72年2月以降に延期されていなければ、この時点で既に廃盤扱いにされているという事である。しかし、長年、お蔵にされた様子も無いのでほぼ順当にリリースされているのだろう。要するに、Schwannから判断すると当時、ヒットした(している)形跡はまったく無く、早々と廃盤になっているのだ。日本だけの特殊な現象、と片付けるにしてもちょっと不可解だ。本当にリアルタイムでヒットしたのだろうか?それとも、知らぬは僕だけだったのか?

 それはそれとして、早速、聴いてみよう。トップのロック・ビート曲を聴くと「まだ(また)こんな事、演ってんの。いい加減にせい」と意地悪でも言いたくなるが、まぁ、それも全て2曲目で水に流そう。
 
 モブレーとモーガンといえば、ハード・バップを象徴する「ヒーロー」だ。冷酷な言い方をすれば、本作は、この
二人のヒーローが作った最後の「時代の徒花」と言っていいだろう。だからこそ、人によっては他のどれよりも光り輝く存在かもしれない。
 
 72年、時を同じくして、一人はジャズ・シーンの表舞台から、もう一人はこの世から姿を消していった。単なる偶然だったのだろうか?
 




7月28日(WED)

                    COLTRANE  (PRESTIGE 7105)     *1957

 名盤と言うほどではないが、よく知られているレコードである。記念すべき初リーダー作としてよりも「コートにすみれを」の名演盤としてである。メンツから推測すると、当時、まだそれほど評価、期待が大きくはなかったようですし、曲によってpが変わったり、tp、bsが出たり入ったりして、統一感もやや乏しい。このあたりが上記のような扱いを受ける要因かもしれない。しかし、作品単位ではなく、本作の10年後の67年、40才にして突然、この世を去ったコルトレーンというミュージシャンを理解しようとすれば、本作の位置づけは俄然、その価値を増してくる。10年という短い間に聴き手の予測をはるかに超える速さで変貌に変貌を重ねたコルトレーンのスタート地点がここにあるのだ。

 こんな事を言うと、また、お叱りを受けるやもしれないが、最近のジャズファンはアルバム単位で聴く傾向なのか、或いは好みの尺度が判断基準となる傾向が強いのではないでしょうか。例えばコルトレーンのインパルス後期の作品は好きじゃないから聴かない(聴いていない)、というタイプも。でも、コルトレーンの10年はジャズの歴史の中でも最大級の重さを占める10年のはず。
これを途中下車してジャズは語れない。一度、本作から遺作‘EXPRESSION’まで聴き通してみては如何でしょうか。好き嫌いの尺度を越えて一人のジャズ・ミュージシャンの壮絶な生き様に触れる、そのスタートが本作である。

 この目を見よ。すでに遥か先を見据えた眼差しだ。




6月1日(TUE)

    COOL STRUTTIN’ (BLUE NOTE 1588)     *1958

 今では「一家に一枚」とまで言われるようになった超人気盤であるが、かってお灸をすえられた事があった。すえたのは元祖辛口批評家で知られる粟村政昭氏。入門者に最適な水準作止まり、との評であった。僕もリアルタイム(67年)でこの評を読んだ口だが、評論家とリスナーの視点の違いから生ずる問題であり、当然の成行きと考えた方がよさそうである。
 さて、一リスナーとして改めて聴いてみると、本作は一曲一曲のソロ構成が巧みに仕組まれており、数多いハードバップ作品の中でも、一際光彩を放っている。一番端的な例として、ラスト・ナンバー
‘Deep Night’を聴いてみよう。A面の2曲ばかり評判を集めているが、僕は昔から本作中、一番と聴いている曲でもある。トリオ演奏から入りas、tpはソロだけ取らせ、ありきたりのテーマ演奏から外すあたりチョット粋は計らいではありませんか。それに各人のソロもイイ。気持ちよくasを鳴らすマクリーンのやや長めのソロが白眉。しかし、それ以上にクラークの正統派モダンジャズ・ピアノがやはり聴きものである。
 まぁ、人気盤になるのも当然という内容であるが、昔は、評論家もリスナー(ファン)も今とは比べようもないほどシビアな聴き方をしていたに違いない。
粟村氏は他の評論家と違って物差しの尺度が一定でブレが少ないので説得力が有った。今思えば、氏が健筆を揮った時代がこの国の「モダン・ジャズ黄金時代」と言って差し支えないであろう。




5月28日(FRI)

BOOKER LITTLE (TIME S 2011)     *1960
 夭折のトランペッター、リトルの人気作。「幻の名盤読本」と巻末のTONYレコードの「幻の名盤をあなたに、プレゼント・クイズ」にも掲載された(24枚中、6枚プレゼント)。問題は、「若くして散った二つの流れ星・・・・・故スコット・ラファロもこれで聴ける」である。易し過ぎるって?でも、昔は粋なことをやってくれるではありませんか。今じゃ、値を上げることばかり考える店が多いのに。TONYには昔、2、3度、行った事があり、帰りに「響」に寄ったりもした。「響」はもうそこにはないようだ。
 さて、インパクトのあるジャケット。ピストンが赤く塗られているのは、まさにリトルの血汐を意味しているのだろう。死ぬ一年半前のレコーディングなのに、まるで死期を悟っているかの如きエモーショナルで一途なtpだ。ただ、トーンもフレージングもまだ蒼く、好みが分かれるかもしれない。だが、ここが聴き所でもあり、聴くものに少なからぬ感動を呼ぶのだろう。曲目もマイナーの付くものが2曲、ブルーが1曲と日本人好みである。
 聴きものは、ズバリB面のトップ、‘Life's A Little Blue’。意味深なタイトルだ。コルトレーンの「シーツ・オブ・サウンド」を思い起こさせる、細かい音を積重ねて綴るリトルに思わず涙腺が緩む。




5月19日(WED)

  KIND OF BLUE (COLUMBIA CS 8164)     *1959
  ある物書き屋が本作を称して「バイブル」と言う。恐れ入ると同時に笑えてくる。何百万枚売れたか知らないが、リアルタイムで本作を聴いてもいない者が売上枚数で後から正当化しようとする俗臭プンプンたる小賢しさよ。こんな後付け論法がこの国のジャズ界ではまかり通るのだろうか。いや、まかり通るはずがない。僕がジャズを聴き始めた60年年代後半、所謂わが国のモダン・ジャズ・ブーム全盛時代、本作は傑作中の‘One Of Them’位の存在に過ぎなかったと記憶している。少なくとも、僕はジャズ喫茶で本作が流れ、聴いた経験がない。購入して初めて聴いたぐらいだ。だから幸いにも活字からのマインド・コントロールを受けず、平素な気持ちで本作を聴けたワケだ。まぁ、これほどの名盤はあまりリクエストされないものですが。
 それはさておき、本作は50年代を代表するレコードには違いない。アルバム全体はもとよりソロまでも構成美に満ちている。聴きものはズバリ、コルトレーンのts、そして聴き所は、ソロイスト中、一番、従来的に聴こえる御大マイルスのtp。失敗作、或いは思い通りの作品に仕上がらなかった、とマイルスが述懐しているようですが、それだけ
マイルスの狙っていた着地点がもっと高かった事を証明している
 「バイブル」なんてハッタリなど相手にせず、モダン・ジャズ史上、数ある名盤の一枚と捉えるニュートラルな聴き方のほうがジャズを深く長く愛し、聴き続けられるノーマルなスタンスと思いますが、如何でしょうか? それともやはり「バイブル」ですか?




5月17日(MON)

     HERE’S LEE MORGAN (VEE JAY SR 3007)     *1960
 語弊があるかもしれないが、ヴィー・ジェイのモーガンは管理下に置かれたBNと違って自由奔放にtpを鳴らす。本作と「EXPOOBIDENT」はそんなモーガンを愛する多くのファンから今なお支持を受け続けており、この2作がヴィー・ジェイの金看板と言えるであろう。
 聴き所はこの奔放さである。 ‘MOGIE’でのソロの入り方などゾクゾクッとする。
また、‘T'm A Fool To Want You’のバラードが 殊のほか有名であるが、これしきの事、モーガンにしてみれば、騒ぐほどでもないと思うが。日本人のバラード好きがこんなところにも顕れている。
 聴きものは、ズバリ、ラストナンバーの
‘Bess’。モーガンのミュートが冴える。一曲の完成度も高い。


2004


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