愛聴盤 vol.6

LIVE / BILL EVANS

VERVE  V6−8803

BILL EVANS (p)  CHUCK ISRAELS (b)  LARRY BUNKER (ds)

1964

ジャズに「芸術」と「芸能」の領域の有無、また、そのボーダー・ラインがどこにあるのか、明確な定義について少なくとも僕は答えられない。ただ、有っても不思議では無いし、無くても別段、ジャズを聴くのに困る事は無い。だが、無意識の内に線引きされて(して)いるのも厳然たる事実である。

一つの例が本作である。本作は、エバンスがリリースを強く拒み、ヴァーヴとの契約が終了するに当たり、71年にやっと発表された作品。ヴァーヴはその見返し?かどうか解らないが、「タウンホール」と同じジャケットを青で上摺りし、タイトルもそっけなく“LIVE”だけにした手抜きアルバム・カヴァーで発売した。

エバンスがリリースを強く拒んだ理由は恐らく、自分自身で「芸能」と判断したのではないか。エバンスの「芸術」と言えば、ラファロとの4部作を始め、ソロ等を含め敷き詰められたような叙情性、緊張感溢れる諸作を代表とする。


(2005/2/5)

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SPEAK NO EVIL / WAYNE SHORTER

BLUE NOTE BST 84194

FREDDIE HUBBARD(tp) WAYNE SHORTOR(ts) HERBIE HANCOCK(p)
RON CARTER(b) ELVIN JONES(ds)

1964

本作は64年の年の瀬も迫ったクリスマス・イブに録音されているが、実は1ヶ月半ほど前の11月2日、イングルウッドのゲルダーのスタジオには、エルビンの替わりにビリー・ヒギンスがdsに入った同じメンバーが集まっていた。しかし、ライオンは3曲(本作収録曲)を録音しただけで中止し、その3曲をRejected(廃棄)している。

これは、あくまでも僕の推測だが、ハバード、ショーター、ハンコック、そしてカーターからなるこの強力な布陣を支えるのに、ヒギンスのdsではやや物足りなかったのではないか? 
とは言うものの、トニー・ウイリアムスを持ってくるわけにはいかず、そうなればエルビンしかいない。そしてライオンのこの予定変更はものの見事に的中し、素晴らしい一作になった。

怪しげな写真と意味ありげなタイトルにこの印象的な「キス・マーク」。アルバム・カヴァー(写真は“JUJU”同様、ウルフではなく、マイルスが撮っている。ネクタイの柄が判り難いが、多分、二つとも同時だろう。)だけでも異様な雰囲気が漂ってくるが、内容も普通のジャズとちょっとかけ離れたイリュージョンぽいムードに包まれている。勿論、ショーターの作曲によるものだが、この辺り、好みが分かれるかもしれない。

さて、本作は上述の如く、予定変更から出直ししただけあって、用意周到なソロ構成と30テイク(オルタネイト・テイク、1曲含む)に及ぶ慎重な録音作業から成り立っており、一曲一曲の完成度が高く、隙のない傑出した出来となっている。僕はショーターの他のリーダー作とは、今ひとつ、波長が合わないが、本作はパーフェクトに合っており、愛聴盤の中でも聴く頻度が最も高い一枚である。

ps ライオンが“SPEAK NO EVIL”(4194)、“MAIDEN VOYAGE”(4195)、“BLUE SPIRITS”(4196)を連番としたのは、
単なる偶然だったのだろうか? いやー、ライオンの性格から推測すると、偶然ではなく、意図的であることに相違ない。
キー・ポイントは当時、マイルスに肉薄していたハバードの存在だろう。


(2005/3/30)

MONK’S MOODS / THELONIOUS MONK

PRESTIGE PRLP 7159

* THELONIOUS MONK (p) GARRY MAPP (b) ART BLAKEY、MAX ROACH (ds)

1952

* THELONIOUS MONK (p) PERCY HEATH (b) ART BLAKEY(ds)

1954

まず、アルバム・カヴァの状態の悪さをお詫びします。実物はもう少しマシなのに、デジタル・カメラ(スタンダード・クラスなのに)は意外に粗まで写し出すようだ。いや、反対にオーディオと同様、グレードが上がれば上がるほど粗が減るのが本当なのだろう。

それはともかく、本レコードは‘TRIO’(7027)の2nd COVER.。1st COVERはシュールなオブジェが描かれているジャケットです。1stものを狙っていますが、なかなか縁がなく、これで我慢している。でも、雰囲気はそんなに悪くない。

本作は52年の2セッション(各4曲、dsが代わる)と54年(2曲)で構成されている。
「バップの高僧」ならともかく、「奇人」、「変人」、挙句は「変なピアノ弾きのおじさん」とまで揶揄されるモンクの比較的初期のトリオもの。

独特のタイム感覚と不協和音によるインパクトある演出が、テクニックの未熟さから?と、かって実しやかに噂された事があった。しかし、それは全くナンセンスな話で、指の関節を曲げず、伸ばしたままでピアノを弾くモンク独特の手法から生ずるものであり、このジャケットの左右交差させた手の先からもそれが窺い知れる。

少し前だが、ある円盤屋と主と話をしていると、「売れないジャズ・ミュージシャンのワースト・3はMJQ、ミンガス、そしてモンク。反対に売れるのは、マイルスとエバンス、何でも売れる」と言う。今のわが国のジャズ・ファン気質をソックリ言い表しているのではないか。

さて、本作ほど深い「感銘」を受ける作品は滅多にない。モンクの「特異性」と表裏一体となるあの「ヘン差値」のバーは決して低くないが、後年、それが人工的に強められた作品とは根本的に次元が異なる。
つまり、同じ「ヘン差値」でも
「万人に受け入れられるヘン差値」なのだ。

dsにブレイキー、ローチとタイプの違う大物二人を従え、聴き手にとってトリオという理想的なフォーマットで正々堂々と鍵盤を打ち込んでくるモンク、ものが違う。
一音一音がモンクそのもの、波動のように聴き手のハートに押し寄せてくる。
嘘だと思うなら、聴いてごらん。但し、他の数多あるピアノ・トリオ(パウエルを除き)はしばらくの間、聴けなくなる覚悟だけはしておいた方がよさそうだ。

もし仮に何も感じなくても、自分の耳を卑下したり、コンプレックスを感じることはない。
生理的に合う、合わないだけの話。強い個性ほどその対象になるのだから。最近の人畜無害的ピアノ・トリオを何枚も聴くより、「この一発」を聴く事の方がよっぽど、有意義なのだ。

一週間、いや三日に一度、聴いても愛聴盤にならないレコードもあれば、半年、いや、一年に一度位しか聴かなくても愛聴盤になるレコードもある。本作はその一枚。
どうやら、愛聴盤指数は聴く回数と無関係のようだ。

A面も素晴らしいが、6曲収録されているB面の方が僕は好き。ラテン・リズムに乗った‘BYE-YA’、最初は子供の手習い風のテーマ演奏からスタートし、アドリブ・パートに入るや一転、うめき声を発しながら本人も腰を抜かす?パウエル・タッチでグイグイ弾き続ける展開が絶妙なラスト曲‘These Foolish Things’が意外な聴きもの。


ps センター・ラベルもNJ(2nd)だが、無溝部分にオリジナル・ナンバーの<7027>が手書きで彫られた上から不造作に描き消され、新たに<7159>が機械打ちされている。ひょっとして、本体だけはオリジナルかな?と一瞬思ったが、残念にも<RVG>が機械打ちであった。dsとbはやや奥に引っ込んでいるが、モンクのpは妖しい響きに包まれ、魅力的な「音」で浮かび上がっている。僕が今まで抱いていたゲルダーのピアノの「音」と全く違う。やはり、年と共ににゲルダーの「音」も変化しているのだろう。

(2005/10/19)

DUKE ELLINGTON & JOHN COLTRANE

IMPULSE AS 30

JOHNCOLTRANE (ts,ss) DUKE ELLINGTON (p) JIMMY GARRISON, AAROW BELL (b)
ELVIN JONES, SAM WOOWYARD (ds)

1962

ロリンズの感動的な‘in A Sentimental Mood’の余韻が今だ醒め止まず、昨夜も風呂に入りながらメロディを口笛で吹いたら、カミさんに「こんな夜遅く」と窘められた。午前1時半、そりゃ、そうだろう。近所迷惑? 僕が悪うございました。因みに、カミさんとは、何時も一緒に風呂に入るのがうちの習慣(まぁ、喧嘩したとこは別々ですが)です。

で、本作を引っ張り出した。勿論、ロリンズはファースト・アルバム‘with MJQ’でも取り上げているが、かってのライバル、コルトレーンのエリントンとの共演盤も興味深い。
A面トップのこの‘in A Sentimental Mood’では、選び抜かれた音数で同曲の全てを描き出すエリントンのpの後、テーマをストレートに吹くだけでこれほどの表現力を持つコルトレーンのts、大したものだ。

しかし、
僕が愛聴するのは、実はB面のB・ストレイホーンの‘My Little Brown Book’から始まるコルトレーン劇場の3曲。‘My Little Brown Book’では瞑想の世界へ誘うようなpに続くコルトレーンの漂いながら心の奥深い所まで沁みこんで来るtsが素晴らしい。「解脱」と言う表現が果たして適切なのかどうか解らないが、兎に角、穏やかさの中にも凄みを秘めたソロが聴きもの。
続く、‘Angelica’は一転してダンサブルな曲調のなか、徐々にコルトレーンのソロがヒート・アップしていく展開がスリリングだが、ふと気が付くと、エリントンはpのバッキングを止めている。いつの間にかトリオ演奏になっていく過程がなんとも自然で、やはりエリントンはソロイストの生かし方を熟知している。

さぁ、ラストはその名もズバリ、‘The Feeling Of Jazz’。いいタイトルだ。ここでのコルトレーンは、背中をこちらに向けて吹いているように僕には聴こえる。そしてその背中には、鉄人と呼ばれたこの男の激しさとは裏腹に彼が内包する「哀愁」と同時に、まるでこの後、暫くして立ち向かっていく「前人未到の荒野」が映し出されているかのようだ。時折、喘ぐように掠れるスピリチュアルなtsを聴くと、こちらの身まで捩れてくる。
これこそ、コルトレーンが目指した‘The Feeling Of Jazz’だった、とはチト言い過ぎだろうか?

だが、これだけでは終らない。A面の4曲目‘Stevie’を聴いてみよう。エリントンの後、左チャンネルからすーと入るコルトレーン、イヤー、かっこいい!どうだ、この最初のワン・フレーズ。その後も、リム・ショットをバックにまたまた、かっこいいフレーズの連発、もう堪りません。
本当の「かっこいい」とはこのコルトレーンを指すのだ。

ちょっと褒めすぎたが、これほどまでにコルトレーンが歌うことに徹した作品は他に例を見ない。

本作を解りやすく言えば、エバンス版‘WE GET REQUESTS’(所謂、プリーズ・リクエスツ)であり、エバンス・ファンから無視されている。
まぁ、エバンス自身も、そうした本作が気に入らなかったのだから止むを得ないが、背負った代償は大きく、エバンスの不幸の始まりでもあった。自分で虚像を作り上げてしまったのだ。
だが、「芸術」、「芸能」といったストイック?な聴き方ではなく、ナチュラルな聴き方をすると、ライブならではの寛いだ中にもエバンスの別の魅力を充分に感じ取れる作品であり、「芸術」と「芸能」の領域が有るとするならば、本作はそのブリッジ的存在で、実は一番美味しい部分なのである。

本作の「隠れファン」が意外に多いのでは、と勝手に推測している。また、不憫なイスラエルのbが上手く録られており、聴きものである。
レコーディング・エンジニアは西海岸屈指のライブ録音名手、WALLY HEIDER。

収録曲は                                              
  Side One                                             
  *Nardis  *Someday My Prince Will Come  *Stella By Starlight 
  *How My Heart Sings

 Side Two
  *’Rounnd Midnight  *What Kind Of Fool Am I?  *The Boy Next Door
  *How Deep Is The Ocean (How High Is The Sky)

ps 本作はコルトレーンのリーダー作のように扱われているが、エリントンの名が先に書かれている所がミソ。聴くと解ります。
それにしても、ロリンズ、コルトレーン、マイルス、モンク達が共にジャズシーンを牽引していた「あの頃」は今、振り返ると「途轍もない時代」だったのだ。


(2005/11/10)

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