MOMENT’S NOTICE / CHARLIE ROUSE
JAZZCRAFT 4
CHARLIE ROUSE (ts) HUGH LAWSON (p) BOB CRANSHAW (b)
BEN RILEY (ds)
1977
「ジャズ読本・2006」を立ち読みしたところ、巻頭の「ご自慢のレコード」?(うろ覚えで、違うかもしれません)特集で、「いーぐる」編に本作がトップ扱いで掲載されていました。
ちょっと意外な思いがした。「いーぐる」ならば他にもっと適切なレコードがあるはずなのに、敢えて本作を選んだ真意は何なのだろう。トップに据えたのは「いーぐる」側の意向なのか、それともSJ誌側のデザイン構成上等の決定なのか、知る由もないけれど。
まぁ、本当に大事なものは、そう簡単に表に出さないものである。
それは兎も角、「いーぐる」のこのレコードは幸せものである。ぺラ・ジャケの背表紙が出し入れのせいで、凹んでいる。良く流されているのだろう。それに引換え、当方は完全無欠である。新品のままで、出動の機会は皆無に近い。ラウズさん、申し訳ありません。
その差は何なのだろうと、考えてみた。要するに、本作のようなチョット、マニアックな作品は「ジャズ喫茶」みたいな場所では、勝負盤、決め盤への繋ぎ役とか、困ったときの必殺盤とか、いろいろ重宝な役柄ではないでしょうか。その点、一般リスナー家庭では、よほどのラウズ・ファン以外は、それほど存在価値を見出せないであろう。
「破顔一笑」とも言えるこのジャケット、薄暗いジャズ喫茶では思いのほかドキッとするかもしれないが、内容は至って標準的なハード・バップ。当たり前と言えばそれまでだが、聴きものは、リーダーのラウズではなく、「日陰の男」、pのローソン。金属製鍵盤でも弾いているのではないかと錯覚するほど硬質なサウンドで一聴、不器用そうでいて、35年生まれとは思えぬフレッシュな感覚のソロを展開している。それと、交通事故?前のクランショウのツン・ツン・ベース(従来のウッド・ベースとは、ちょっと違うなぁ)ももう一つの聴きものである。(* 同日録音のPRIME TIME / HUGH LAWSONのライナー・ノーツによると、クランショーはやはり久々にウッド・ベースを弾いたそうです)
無愛想なコメントだが、本作は「ジャズ喫茶」という空間でこそ映える作品と言えるだろう。ここが「四谷の御仁」の真意かもしれない。
別段、ラウズに恨みがあるワケではないが、それ以上でもそれ以下の出来でもないと思う。
ps ラウズを聴きたかったら「これ」と「コレ」を聴け!
(2005.12.27)
MILESTONE MPS 9008
JOE HENDERSON (ts) MIKE LAWRENCE (tp) GRACHAN MONCUR (tb)
KENNY BARRON (p) RON CARTER (b) LOUIS HAYES (ds)
1967.8.10
1967年、コルトレーンが天に召されて一月も満たない夏の盛り、ジョー・ヘンのBNからマイルストン・レーベルに移籍後の初レコーディングが行われた。O・キープニュースが興したレーベルだけにあまり尖らず、良い意味での中庸さをベースに仕上げられている。
とは言っても、ジョー・ヘンのオリジナルからスタンダード、ボサ・ノヴァ、ジャズ・スタンダードまで多彩な内容になっているのもジョーの新しい魅力をプレゼンテーションしようとする狙いからであろう。
本作を取り上げた理由は、勿論、先回の‘OVERSEAS/T・FLANAGAN’に収録されている‘Chelsea Bridge’が入っているからですが、何となくゴリ押しっぽいジョーのイメージと打って変わって朝霧に翳むようなちょっとアンニュイなムードが横溢している所が聴きもの。
また、ジョビンの‘O Amor En Paz’ではメロディの美しさを充分に生かしながら柔らかく吹き流すジョーにこんな側面があったのか、と新鮮さと同時にちょっと驚きを感ずる。
(2006.8.28)
MAINSTREAM MRL 315
BLUE MITCHELL (tp) JIMMY FORREST (ts) WALTER BISHOP,JR.(p)
LARRY GALES (b) DOUG SIDES (ds)
1971
ブルー・ミッチェルは1979年に49才の若さでこの世を去っている。同じ地味目のドーハムも48才で亡くなっており、つくづくこの世の儚さを感じてしまう。ミッチェルはご存知のように1958年に初リーダー作‘BIG
6’をRIVERSIDEに吹き込み、それ以来、21年間あまりのキャリアの内に、ざっくり言うと、意外?にも30枚近いリーダー作を録音している。均せば、2年に3枚と決して少なくない。
しかしながら、RIVERSIDEの7枚とBLUE NOTEの8枚(後年、発表された1枚含む)の前半を除くと、記憶もかなり怪しくなるのも事実。H・シルバー・クィンテットのイメージが強いせいなのか、66年の‘BRING
IT HOME TO ME’(BN 4228)以降のミッチェルの活動を気にするファンはそれほど多くないであろう。
かく言う僕にしても、BN後期のビッグ・コンボものでは‘BOSS HORN’(4257)での憂いを含んだ‘I Should
Care’のソロや思いの外、tpの鳴りを聴かせる‘HEADS UP’(4272)辺りが思い出せる程度である。
この作品は、1971年の初めにミッチェルが新たに結成したクィンテットによるメインストリームに吹き込んだ第1作目。ゲート・ホールドのアルバム・カヴァにしては些かチープな印象を与えるせいか、クズ盤コーナーにクズ値で眠らされていた。不憫に思ったと同時に収録曲のゴルソンの名曲‘Are
You Real’を見つけ、ひょっとして?という微かな期待で手に入れたブツ。勿論、メンバーもなかなかの兵揃いで、しかもスモール・コンボも決め手になっている。
イヤー、これはチョットした掘出し物でした。兎に角、tpの鳴りぷりがイイ。以前のようなやや型にはまったというか、小振りなソロ・ワークから自由自在感を増している。それに時代性も表現している。それは、明らかにF・ハバードの影響を受けている、というよりむしろミッチェル自身が積極的にハバードの奏法を取り入れているのだろう。
例えばTOPのヒップ・ソウルな‘Soul Village’や2曲目の妻に捧げたストレート・アヘッドなブルース・ナンバー‘Blues
For Thelma’、ラテン・フレーバーを効かしたスリリングな‘Mi Hermano’での吹き上げ方など、一聴、ハバードと聴き間違える程である。まぁ、スピード感、シャープさでは一歩譲るとしても、とてもイイ感じです。
それと引き締まったトーンで無手勝流で迫るフォレストのtsも聴きもの。‘Are
You Real’では、あの‘Sweet Love Of Mine’に似たボサ・ロックのリズムにややズレを生じさせながら、フォレスト流のノリで一気に押し切り、これがまたイイんだなぁ。また、ビショップのノリノリ・ソロも実に楽しい。
その、ビショップは‘Soul Village’、‘Mi Hermano’でハンコックもどき?のエレピを聴かせ、他の曲でもクセ味を十分発揮している。
格別、聴き耳を立てるほどの作品ではないが、さりとてクズ盤扱いは勿体ないと思います。
ボビー(ボブ)・シャッドはやはり一流のプロデューサーですね。
なお、レーベルは‘A RED LION PRODUCTION’製作のためカラフルに変わっています。
(2007.4.7)
SAVOY MG 12091
LEE MORGAN (tp) HANK MOBLEY (ts) HANK JONES (p) DOUG WATKINS (b)
ART TAYLOR (ds)
1956. 11. 5 & 7
前回、ナヴァロの「ノスタルジア」をUPしたので、今度はモーガンの「ノスタルジア」を聴いてみよう。本作は、ご存知の通り、モーガンのリーダー作ではない。アルバムのフロント、バックを注意深く見れば、本来はモブレーのリーダー作であることは明らかであるが、モーガンの写真と文字の大きさから、昔からモーガンのリーダー作として扱われている。
サヴォイのスケベ根性から来るものだろうが、お陰で、BNの「インディード」(前日、録音)と同時に二つの初リーダー作を吹き込んだ大人顔負けの商売上手な才能云々と言われるに至っては、当のモーガンとしては「ドタキャンしたトランペッターの代役として、急に呼ばれた為、散々の出来だった」と本作にあまり触れられたくないのも当然と言える。
但し、モーガン自体のプレイは本人が言うほど、ヒドイ出来ではなく、この後、僚友になるモブレー、育ての親とも言えるBNに対する気遣いとも言えるが、急遽、モーガンを紹介したのが、当時、モブレーの親分で、前日、共演したばかりのシルバーとなれば断れず、代役でなく初めから決まっていれば、もっと良いプレイが出来たハズ、との自惚れ、否、失礼、自信の裏返しであろう。まぁ、複雑な心境だったには違いない。
で、話を内容に戻すと、本作の「ノスタルジア」はあまり話題に登らないけれど、僕は結構、好きですね。モブレーのソロは最初、何となく頼りなさそうだが、飄々したプレイにふと郷愁を感じ、その後のモーガンも8才年上のモブレーを凌ぐ大人びたミュート・プレイを聴かせます。
ただ、A面2曲が15分少々と短く、また、B面の4曲のバラード・メドレィはそれぞれソロイスト一人の演奏となっていて、タイトルを期待すると肩透かしを喰らう部分も有り、一枚のアルバムとして聴いた場合、密度がやや希薄で完成度に問題を残している。この辺り、予定変更の弊害が出ている事は否めない。
なお、この「ノスタルジア」だけ7日に録音され、同時に録音された他の曲はMOBLY
vol.2(MG 12092)でD・バードとのセッションと共に発表されている。結局、一番の被害者はお人好し、モブレーだろう。
さて、録音当日(11月5日)、ドタキャン、正確に言えばスタジオに姿を現さなかった人物とは、いったい誰だろう?
一説によると「マイルス・デヴィス」らしい。らしい、と言うだけでその真偽について残念ながら把握していないので、あまり無責任な事は言えないが、もし本当(可能性は限りなく・・・・・・・)に実現していたならば、モブレーのその後の人生は大きく変わっていたのではないでしょうか。
否、モブレーだけではなかったかもしれません。因みに、当日、マイルスの他の録音の形跡は僕が知る限りありません。
それはともかく、「ノスタルジア」でワトキンスのベース・ソロからテーマに戻る瞬間、「フゥー」と溜息?をついたの誰なんでしょうか。
ひょっとして、モーガンなんでしょうか?
(2007.5.7)
BLUE NOTE GXK 8170
* KENNY BURRELL (g) STANLEY TURRENTINE (ts) HERBIE HANCOCK (p)
BEN TUCKER (b) BILL ENGLISH (ds) RAY BARRETTO (conga)
1964.10.22
* KENNY BURRELL (g) SELDON POWELL (ts, bs, fl) HANK JONES (p)
MILT HINTON (b) OSIE JOHNSON (ds)
1963.3.27,4.2
本作は1980年台初め、ブルーノート世界初登場シリーズとしてリリースされた内の一枚。バレル名義では他に‘K.B
BLUES’、‘SWINGIN´’もほぼ同時に発表されたせいなのか、或いは、二つの異なるコンセプトからなる中途半端なカップリングのせいか、殆ど話題にならなかった。なお、S・パウエルの参加したセッション(4曲)の2曲はEP盤で既に発表されている。
この頃になると、バレルもデビュー当時と比べ、ソフィスティケートされたブルース・フィーリングと柔らかく弾力のある音色で勝負するタイプに変わりつつあった。ただ、モンゴメリーの出現により、やや人気の点で影に隠れたり、繊細で知的なホールや反対にゴスペル・フィーリング色の濃いグリーンの人気に押され気味ながら、「本当はバレルが好き」という隠れファンも多い。
この作品の注目点はやはり、ハンコックの参加でしょう。一曲目、バレルのオリジナル‘G
Minor Bash’のイントロ、そしてテーマの後のソロを聴いて、直ぐハンコックと判る人は相当、耳の良い人ですね。もっとも、ハンコックは、BNでの新主流派演奏やマイルス・5での研ぎ澄まされたpを弾く傍らいろいろなセッションにも起用され、イメージ以上にヴァーサトゥルなタイプです。でも、このpの後にタレンタインやバレルのブルージーなソロがでてくると、さすがに思考回路が狂わされます。ブラインド・ホールド・テストにいいかもしれませんね。それにしても、ここでのタレンタインの「ザ・マン」テナー全開の吹きっぷり、結構、イケテマス。まぁ、聴き過ぎると飽きがきますが、たまに聴くとなかなかいいもんです。
で、ここからが奇妙で、B−1の‘Love ,Your Spell Is Everywhere’(タレンタイン抜き)までの3曲、ハンコックのソロの出番がありません。このあたり、折角、ハンコックを呼んだ意図が反映されず、真に惜しい。そのタレンタイン抜きの‘Love
,Your Spell Is Everywhere’のグルーヴィでノリの良い演奏を聴くと尚更、その感を強めます。
また、S・パウエルの参加したセッションについては、当時、BNもこうした所謂、イージー・リスニング・ジャズを録音していたという認識を持つ以外、敢えてコメントする必要はないだろう。
未発表作品の面白さは、本作の様な「不完全さ」に有り、まともに一枚分、録音されそのまま長く「お蔵入り」した作品はごく僅かな例外を除いて、ほとんどそれなりの理由があるはずです。ライナー・ノーツ等に「お蔵にされた理由が解らない」というコメントがよくされていますが、これなどリップ・サービスの最たるものではないでしょうか?そうでなければ、BNの場合、ライオンの耳は「タコ」だ、と言っているようなものです。僕はそんな尊大さを持ち合わせていない。
(2007.8.11)