1938年4月7日、インディアナポリスに生まる。同い年にB・リトル(4月2日)、L・モーガン(7月10日)がいる。同じ年に3人の「神童」が生れるなんて、偶然とは言え、何か想像もつかぬ必然性さえも感ずる。この二人に比べると、ハバードの本格的なデビューは遅く60年になってからである。
ここでハバードの50年代の録音についてちょっと触れてみましょう。
初レコーディングは、‘THE MONTMOMERY BROTHERS & FIVE OTHERS’(World Pacific PJ1240、1957・12・30)
2、1958・12・26録音の‘STARDUST / JOHN COLTRANE’(Prestige 7268)‘THE
BELIEVER / JOHN COLTRANE’(Prestige 7292)、に各一曲ずつ。
3、‘GO!/ PAUL CHAMBERS’(Vee Jay LP1014、1959・2・2)に4曲。
僕の知る限りは以上である。その他では‘SLIDE HAMPTON OCTET’(Strand)がありますが、確認できていません。
改めて紹介するまでもなく、ハバードの初リーダー作である。上述の如く50年代の演奏からして短期間にこれほどまでに進化していたとは、驚異としか言いようがない。
これについてライナー・ノーツで、IRA GITLERが興味あるコメントを載せています。ハバードは1959年4月、しばらくしてジャズシーンの表舞台から姿を消すS・ロリンズと2ヶ月にわたってサンフランシスコで仕事をしており、この間に「ロリンズから‘heavily
influenced’された」と自ら述べている点です。つまり、この「未完のインディアナポリスの神童」はロリンズによって磨かれたとも言える。これほどの大物と一緒に活動すれば、才能が有れば有るほど驚くほどのスピードで吸収、進化するのも納得でき、ごく自然の成行であろう。この時期の演奏が残っていないだろうか?
本作の聴き所は、自分の未来だけではなく、まるで60年台の新しいジャズ・シーンの扉を自らの手で開けるかの如きフレッシュな感覚のハバードのペットである。タイトルがそれを物語っている。
OPEN SESAME / FREDDIE HUBBARD
BLUE NOTE 4040
FREDDIE HUBBARD (tp) TINA BROOKS (ts) McCOY TYNER (p)
SAM JONES (b) CLIFFORD JAVIS (ds)
1960
「吉祥寺」の領主様が自著の中で本作を取り上げ‘Gypsy Blue’(BROOKS作)を名曲を超えた名曲と持ち上げる一方、リーダーのハバードをまるで悪党の如く貶していますが、こうしたコメントは好ましものではない。自分の好みの押し付けだけでなく、フェアではないと思う。この人に多い恣意的なコメントの典型であり、物書き屋の悲しい性なんでしょう。
さて、巷?ではA面に人気があるようですが、じっくりと聴き込んでみるとB面の方にハバードの魅力がより鮮明に浮き彫りされている。聴きものはズバリ、B面トップ‘All Or Nothing At All’。今までのバップ・トランペッターとは明らかに立脚点が異なるハバードの熱いペットが炸裂する。ジャービスとの掛け合いなどゾクッするほど新鮮である。それにハバードのオリジナル曲‘Hub’s Nub’を聴くとBROOKSとの感性の違いが顕著に表れ、その後の明暗が分かれたのも至極、当然と思わせる。
また、pのタイナーもBN初登場である。
フレディ・ハバードは、決して過去の遺産や名声に生きるミュージシャンではない。時代と共にジャズシーンの中で生き続けるタイプのミュージシャンである。それが故に、過去の遺産や名声を重んずる傾向の強いコンサバ・リスナーや逆に先進気取りリスナーから誤解を受けているようだ。
「四谷」の御仁に言わせると「初リーダー作の本作が一番よかった、ではデビュー後の姿勢が問われるのもやむおえない」そうで、これに同調或いはパクリ・コメントを時々雑誌やHP等で見かけますが、如何なものでしょうか?
では、本当にそうだろうか?確かにハバードは一時期緩んだ作品を連発したが、それが彼のジャズ・トランペツターの雄としてのキャリアを根底から汚すほどではない。むしろそうした解ったような聴き方をする方が問題なのである。
最近、時々、足を運んでいるあるジャズ・バー&カフェに置いてある「ジャズ名盤・ベスト1000」(安原氏監修)を見ると、
「70年代ジャズにこだわったベスト」の中で‘ROLLIN’、「極私的ジャズ名盤選」では‘THE BLACK ANGEL’の2枚が二人の方々からリスト・アップされている。これをどう解釈すれば良いのか。
つまり、「ジャズ名盤・ベスト1000」は20名の方が本音で語っている反面、だんだん名を成してきた物書き屋達は最大公約数的ファン気質を背景にして書いているのではないか。しかし、それ(本が売れるようにする)は当然のことでとやかく言うつもり毛頭ありません。
要するに、読む側に書き手に惑わされない選球眼が必要とされるのだ。
ps 本盤は70年代中期?に再発された輸入モノラル盤である。長い間廃盤状態が続いていたので、再発盤でも手に入れた時は素直に嬉しかった。「音」はさすがにオリジナル盤に比べようも無いほどプアである。しかし、「音」の差を全く感じさせないブリリアントなハバードのtpが冴え渡っている。
だから、再発盤であっても、これが僕にとっては「オリジナル盤」なんです。
(8/30)
vol.5
BLUE NOTE 4073
FREDDIE HUBBARD (tp) JULIAN PRIESTER (tb) JIMMY HEATH (ts)
CEDAR WALTON (p) LARRY RIDLEY (b) PHILLY JOE JONES (ds)
1961
本作はハバード個人だけでなくブルーノートにとってもエポック・メーキングな作品である。4040、4056、そして本作とほぼ5ヶ月おきに吹き込まれたこの第3作目は、双方のそれまでのハードバップ路線とは、明らかに異なる新鮮なサウンドを提示している。
それはハバードのドルフィー、コールマンとの共演、録音体験からくるもので、重要なのは後年、「新主流派」と呼ばれる演奏コンセプトの萌芽が本作で初めてブルーノート・レーベルに記録された点である。
それにしても、ハバードの一作一作毎に進化するスピードに驚かされる。本作では、ソロイストだけではなく、セッション・リーダー、そしてコンポーザー(4曲提供)としての存在感を早くも揺るぎない地点まで押し上げている。この時、BNからデビューして未だ1年も経たず、しかも、わずか23才になったばかりである。これは驚き以外何物でもない。
本作をtbを加えた3管編成にしたのは、ただ単に変化を付けるだけでなく、おそらく、ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズを念頭に置いていたとしても不思議ではないが、この時点で果たしてそこまで(3管編成)考えが及んでいたか、疑問がないわけでもない。事実、本作から暫らくして、ハバードは予定通り?モーガンに替わって花形ポジションを手に入れることになるが、それもこれも、ハバードがジャズ・ミュージシャンとしてトータルな面で非凡な才能(上述)を有していたことを、ブレイキーが見抜いていたことに他ならない。聴き所はここである。
ライナー・ノーツでL ・フェザーの質問(強く印象を受けた若きソロイストは誰?)に対し、マイルスは “T’ll tell you one young trumpet player T really like−Freddie Hubbard.”と述べている。当時のハバードの注目度を語るに充分なコメントである。
荒削りながら、この頃、無心でジャズシーンを駆け上る若き日のハバードの姿がここにある。‘PLEXUS’と聴くと正に実感します。
全編、多彩にして斬新なアンサンブルを貫ってハバードのtpが弾ける胸のすく快演が続く。‘EARMON
JR.’のしなやかなプレイも特筆ものです。
本作はハバードの代表作にして、ブルーノートの代表作でもある。
インナー・スリーブ
ps 本レコードのインナー・スリーブに、レコードNo.、ジャケット・デザインまで決定されながら、直前になって何故かリリースが見送られため、かって「幻の名盤」と騒がれたT・BROOKSの“Back To The Tracks”(4052)が間違いなく刷り込まれています。
なお、何かの因縁でしょうか、本レコードは随分前に、ハバードが大嫌いと言う物書きの領主様が住む吉祥寺のある円盤屋で手に入れた。既に、御領主様の目が光っていたのでしょうか? 格安でした。「ごつっあん」です。
(10/8)
レコード(またはCD)の聴き方は、その集め方によって随分左右されるのではないでしょうか。例えば、噂やジャズ本・雑誌に多く露出されているレコードをつまみ買いする集め方と、ミュージシャンをある程度、絞り込んで時系列的にきちんと集める方法がある。
当然、結果的に聴き方が異なってくる。前者では気がつかないミュージシャンの微妙な変化さえ、後者の聴き方だと判るケースが多い。勿論、、ミュージシャンを絞り込むまでにかなりの量の聴き込みが要求されるが、かっての「ジャズ喫茶黄金時代」をリアル・タイムで体験し、それなりの「質・量」を体に浴びることができたジャズ・ファンはともかく、比較的最近、ジャズを聴き始めたファンは環境上、よほど自分から常に努力しないと、なかなかそれが難しい。
だからというわけでもないが、続々と発刊されるジャズ本はそうした事情を背景にしているかもしれない。だが、実際の「耳」より先に「目」から情報を得ると、その情報に影響される度合が大きく、「薬」よりも「毒」になるケースも考えられる。初心者であればあるほどリスキーだ。また、総花的にレコード(CD)を聴くスタンスでは、音と共に刻まれたミューシシャンのメッセージを聴き取るに、自ずと限界があるのではないでしょうか。
手引書、ガイド・ブックはあくまで参考にする程度で止めたほうが後々のためになる。「必要悪」というクールな対応が望ましい、と僕は思います。
READY FOR FREDDIE / FREDDIE HUBBARD
BLUE NOTE BST 84085
FREDDIE HUBBARD (tp) WAYNE SHORTER (ts) BERNARD McKINNEY (euph)
McCOY TYNER (p) ART DAVIS (b) ELVIN JONES (ds)
1961
BN初デビュー後、僅か1年あまりで、早くも4作目となる本作はそれまでの3作とは、肌触りが微妙に違う。4040、4056、4073では、セッション・リーダーとして、また、時代の新しい担い手として若武者らしく未完ながらグイグイとグループと引っ張っていくようなパワフルなプレイが聴かれるが、ここでは、一音一音じっくりと綴るかの如く、まるでベテランのような風格さえ漂わせるスケールの大きいフレディに変貌している。
何がそうさせたのだろう。フレディは自己のベスト3・アルバムの一枚に本作を挙げている。理由は「すべてを自分でコントロールできたから」という。それが率直な答であろう。ポイントはメンツである事は誰の目にも明らかである。所謂「1500番」台の匂いがする者はいない。総て「4000番」台、つまり脱(非)ハード・バップ陣容である。この録音はフレディがジャズ・メッセンジャーズの入団直後行われ、後年、発掘された‘ヴィレッジ・ゲイト’のライヴものがリリースされるまで、フレディとショーターの初顔合わせとされていた。
それに、もう一つ重要なのは、3ヵ月前“OLE/J・COLTRANE”で競演したばかりのE・ジョーンズをdsに呼んでいる点である。エルヴィンにしても4000番台では初めての登場である。バーナードのユーフォニウムはおそらくtbと違うメロウなサウンドを狙ったのであろう。
さぁ、準備は整った。あとは曲だ。
トップのフレディ作‘Arietis’はディビスの流れるようなベース・ラインに乗って、ts、euphのオブリガートを受けながらフレディのtpが滑らかに気持ちよく響き渡る。余力を残しながらも朗々と歌うアドリブにフレディーの進歩の跡が窺われる。
2曲目の‘Weaver Of Dreams’はバラード風から始まり、途中からイン・テンポに変わるが、ホント、このペットの音色の良さ、絶品です。ワンホーン演奏で、惚れ惚れするほどの出来映えです。リトル、モーガンはもとよりマイルス、ブラウンとも異なるオリジナルな世界を創出している。次はショーターの‘Marie
Anhtoinette’。のりの良さでは、これが一番。フレディとショーターの相性のよさが際立っている。ダイナミックなショーターのソロもご機嫌だ。
B面には、フレディのオリジナルが2曲。‘Birdlike’とは勿論、‘パーカーのような’であるが、トランペッターの彼がどうして?である。これは、フレディが当時、SAX的フレーズをtpで鳴らそうとしていたことと同時に、パーカーのようにtpを吹きたいとの願いが込められているのでしょう。次の‘Crisis’は後にジャズ・メッセンジャーズでも再演されている。この2曲は、以前のようにバリバリと吹くのではなく、なにか自分の新しいスタイルを深く模索しているように聴こえる。
僕はtpを吹けないので、ハッキリとしたことは判らないが、かなり高度なテクニックを駆使しながら演っているのではないでしょうか。このあたり、一度ペット奏者に聞いてみたい。
本作はつまみ聴きでは、その良さが解り難いが、フレディの作品を時系列で聴くと、彼の言葉通り、その特異性を感ずる作品である。
そしてフレディが語るようにベスト・アルバムの1枚と言ってもおかしくない会心の出来であったに違いない。
ジャケットに映るフレディの横顔がそれを証明している。
(1/9/‘05)