独 り 言     (16) MOBLEY、「嘆きの?メッセージ」シリーズ

THE JAZZ MESSAGE / ??

本作は通称、モブレーのリーダー作とされているが、例えば、Goldmineの「Jazz Album Price Guide」ではD・バードの項で、また、NOTさんのブログでもバードのリ−ダー作として紹介されている。肝心のモブレーはA面のみで、両面に参加しているバードがメンバー記載でトップに置かれているからであろう。ただ、あるディスコグラフィーではA面はモブレー、B面はdsのK・クラークがリーダーとなっており、まぁ、本当のリーダーを特定するのは難しいし、その必要もなさそうである。そうすると、何故、モブレーの顔写真が使用されたのか、という疑問が当然、浮かび上がってくる。

暫く、このカヴァを眺めていると、ある妙?な事に気が付いた。それは、このカヴァをちょっと離してみると、この顔写真が誰なのか?分からなくなる。暗闇に横顔のそれもほんの一部が映り、しかも斜め後方からだ。今でこそモブレーだと知っているけれど、リリース当時(1956年)、一体、何人の人がモブレーと判別出来ただろう。ひょっとしたらバードと思った人がいたかもしれない。ここが盲点というか、つまりアルバムのリーダーは
「モブレーであって、モブレーではない」という一種の暗示、「ダヴィンチ・コード」ならぬ「モブレー・コード」だったのではないか?(大汗)

SAVOY MG 12064

さて、今度は苦悶するモブレーである。‘INTRODUCING LEE MOGANN’の残りの音源とバードとの別セッションをカップリングしたもの。しかもA面に本来はモブレーがリーダーだったと雖もモーガンとの残りテイクを据えられては堪りません。その上、バック・カヴァで陳腐な表現までされては、・・・・・・・・・。また、モブレーの穏やかならぬ心中をフロント・カヴァで馬鹿ストレートに表現するとは、いくらモブレーが「お人好し」といっても、SAVOYさん、そりゃ、あんまりだよ。

それにしても、この趣味の良くない派手なシャツがいけません。カヴァにポイントを置いて下さい。1967年、BNに録音しながら、「お蔵入り」にされ後年発表された‘FAR AWAY LANDS’(BST 84425)。ここでも僚友、バードが参加している。そもそもタイトルが良くないけれど、それにしてもこのシャツがなぁ、モブレー自身もどこか浮かぬ表情で写っている。

SAVOY MG 12092

モブレーはほぼ同時期にプレステージによく似たタイトルの2枚のリーダーアルバムを吹き込んでいる。
録音時期を整理してみると、
* THE JAZZ MESSAGE (SAVOY MG 12064、A面 1956. 2. 8)
* MOBLEY’S MESSAGE (PRESTIGE LP 7061、1956. 7. 20)
* THE JAZZ MESSAGE #2 (SAVOY MG 12092、B面 1956. 7. 23, A面 1956. 11. 7)
* SECOND MESSAGE (PRESTIGE LP 7080、1956. 7. 27)

7080の再発カヴァ

聴きものはトップの‘Bouncin’ With Bud’。BNのオリジナル・ヴァージョンと同じフォーマットてスタートし、良く歌うモブレーの後、待ち切れずにフライング気味に飛び出すバードが素晴らしい。きれいなトーンでまるで蝶が舞うが如きソロにただただ聴きき惚れる。ほんとにイィース。

惜しむらくはここ一番の決めフレーズが出てこないのが、うぅーん真に残念。この辺りが後発のモーガン、そして60年代に入ってからハバードに徐々に水を開けられていった主因だろう。

聴きものはお馴染み‘I Should Care。テーマからソロへかけてその実力を遺憾なく発揮するドーハムの好プレイが光る。やや散漫なビショップのpの後、モブレーがドーハムに負けじとばかりグッと掘り下げたtsを聴かせてくれます。

また、何でもないブルース曲‘Xlento’でのメランコリックなムードもなかなか味わい深いものがあります。

7061

なお、上記の4枚中、3枚に参加しているバードについて。
バードは56年5月にトランジションに吹き込んだ‘BLOWS ON BEACON HILL’から58年12月、BN、第一作目の‘OFF TO THE RACES’まで2年半の間、あの「幻の名盤」と謳われた仏Brunswick盤を除き単独リーダー・アルバムは一枚もない。
このピーク期にコ・リーダー作やサイドマン作しか残せなかったとは、バードにとって痛恨の極みだっただろう。
そうした意味ではモブレーより「お人好し」だったのは、実はバードだったかもしれません。

その「お人好し」はともかく「人の好さ」を買われて?、
バードが一時期(正確に把握していませんが)、短期間ながらBNレコードの社長を務めていたことは、ほとんど知られていない。


(2007.6.10)

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