独 り 言 (14) MILESがいなくてもJAZZは聴ける!?
CANNONBALL & COLTRANE
LIMELIGHT LS 86009
CANNONBALL ADDERLEY (as) JOHN COLTRANE (ts) WYNTON KELLY (p)
PAUL CHAMBERS (b) JIMMY COBB (ds)
1959
さぁ、戯言はこのぐらいにして、本題にいって見よう。今では信じられないが、
本作はあの「幻の名盤読本」(1974年)に掲載されている。当時、本作に限らず今や名盤と言われる作品がずっと廃盤のままにされていたケースもそれほど珍しくなかった。
そんな背景が「幻の名盤ブーム」の土壌になったと言っていいだろう。
このライムライト盤(再発盤)はそんなブームになる前後?に見つけ、ピンホール盤(穴あき盤)だったが、躊躇することなく手に入れた。まぁ、そのうちにオリジナル・カヴァで、なんてイージーな気持ちだったが、いつの間にか現在まで居座っている。キャノンボールとコルトレーンに引っ掛けた大砲と機関車の子供じみたイラストが思いの他、気に入ったのかもしれない。
それから暫くして、このライムライトの国内盤がリリースされた際、SJ誌でレヴューを担当したのが「元祖辛口評論家」で鳴らした粟村氏。
「‘イン シカゴ’なんて見え透いたタイトルよりこのタイトルの方がよほど好感が持てる」なんて相変わらずの口調で始まり、「その内、幻の名盤になっても知りませんぞ」で締めくくっていた。いやはや、粟村氏のコメントはいつも気が利いていて、面白かったなぁ。
ご承知の通り、本作は当時マイルス・セクステットのメンバーであった五人がボスの目を盗んで、堂々と?マーキュリーに吹き込んだもの。ふてえ、野郎達だ。
ボスにしてみたら、あまり押さえつけてばかりいると、暴発(退団)されても困るし、まぁ、ここらは目をつぶってやらしておくか、はたまた、オレはちゃんと次の手(KIND
OF BLUE)を打ってあるさ、てな具合だったのだろう。
寛ぎと緊張が絶妙にブレンドされたこの快作は白熱した二人のSAXバトルを期待する向きにはやや物足りないのか、本特集でも他の作品は掲載されているにも拘らず本作は漏れている。単なる偶然なのか故意なのか知る由もないが意外に存在感が薄いようだ。
僕が個人的に好きな曲は、キャノンボール、コルトレーン、それぞれをフューチュアーしたバラード二曲、特に鼻歌交じりでご機嫌なソロを取るケリーが聴きもの。また、‘Wabash’のダンサブルな曲調の中、コルトレーンがキャノンボールに合わせ、やや高めのピッチでまるでスキップを踏むが如き軽やかに舞い、意外な側面を見せているのも興味深い。マイルスがいなくても立派なジャズは演れるのではないか。
日本人は刷り込みと恫喝に弱い民族と揶揄される。これだけ「マイルス、マイルス、聴け!聴け!」なんて言われると、気の弱い?ビギナーなど随分影響を受けるのではないかな。
僕の知合いにもそういう人が現実にいて、[マイルス本」に沿ってジャズをマイルスから聴き聴き始めて数年経つが、未だに自分の道を見つけられず、迷い、時々会うと必ず「お奨めのCDを教えて」と言われる。
一度、10枚ほど奨めたけれど、次に会った時、「ガイド・ブックに載っていなかったので・・・・・・・・・」。それ以来、奨める事を止めた。しばらく会っていないが、今、どうしているのだろう。最後に会った時、落ち着いたピアノ・トリオも聴きたい、と言っていたので、ケリーの‘FULL VIEW’を一枚だけ奨めたけど、怪訝な表情をしていました。
ジャズ史上の業績を基に、マイルスをまるで「唯一神」の如く喧伝する事がジャズの環境改善に果たして寄与するのか、甚だ疑問に思う。
「効率の良い早道」なんて蜃気楼のようなものだ。
もし、本当に「構造改革」しなければならぬ状況にあるとするならば、逆に、こうした手法を点検する必要があるように思います。
この‘CANNONBALL & COLTRANE’(IN CHICAGO)を聴き、ふと、そう感じた。
(2006.7.14)