呟 き
FLIGHT FOR FOUR / JOHN CARTER & BOBBY BRADFORD
FLYING DUTCHMAN FDS 108
JOHN CARTER (as ts cl) BOBBY BRADFORD (tp) TOM WILLIAMSON (b)
BUZZ FREEMAN (ds)
1969
今年は冷夏ですが、毎年、暑い夏が来ると必ず思い出すレコードがあります。
それが本作。このレコードはわが国では1970年に発表(直輸入盤で)されていますが、翌年(71年)の夏のある暑い昼下がり、僕はいつも行くレコード店で物色していたところ、顔なじみの女子店員が「この暑さを忘れられる何か良いレコードはないですか?」と話し掛けてきた。聞いてみると「あそこにいる女性に尋ねられたので」と言うので見てみるとると、20台前半のOL風の女性であった。
少し考えてこのレコードを勧めた。その理由は、常識的?なボサノバでは、おもしろくもないし、かと言ってありきたりの名盤では芸がないし、暑さを忘れるには、強力に惹きつける何かがなければいけないと思い、ブラッドフォードのtpに賭けてみたのです。
試聴する後姿を横目でチラチラと見ていたところ、その女性は買物を済ませたが、果たしてこのレコードを買ったのか、判らなかった。
すると女子店員がやって来て、「すごく気に入ってもらい、買って頂きました。ありがとうございました」と言うので、僕が「どんなところが気に入ったのだろう」と聞き返すと、「tpがとってもイイと、言ってました」と答えてくれた。
作戦がずばり的中したわけだが、無名に近い本作の肝をちょっと試聴しただけで聴き取ったその女性の感性に恐れ入った。しかし、この小さなハプニングは、僕には別の大きな意味をもっていて、そのワケは以下の通りです。
本作を初めて聴いたのは70年春、3月。京都での学生生活を終え、実家へ帰る日の前日、これが最後と思い四条の‘(ザ?)マン・ホール’へ行ってみた。階段を降り、扉を開けた瞬間、素晴らしいtpが耳に飛び込んできて、これは、ハバードの新作だ、と思った。目をつぶって暫く聴いていたが、どうもハバードとは違う、フレーズがハバードより断片的で鋭く、音色もチョット違う、誰だろうと考えても全く思い当らなかった。ジャケットを見ると、見た事のないジャケットで、聞いたこともないメンバーであった。
後で判った事ですが、本作はウエスト・コーストで生れたフリージャズ・グループ‘NEW ART JAZZ ENSEMBLE’の第2作目。第1作目の‘SEEKING’をより完成度を高めた本作は、当時のエレクトリック・ロックやクロスオーバー、イージー・リスニング・ジャズの台頭、アヴァンギャルド・ジャズの衰退等、混迷の時代に彗星の如く光り輝いている演奏であった。アブストラクトなカーターのサックスとクラリネット、そした、透明感溢れる美しいトーンのブラッドフォードのtp、二人のスポンティニアスなリズムセクションから描き出される世界はナイーブでありながら正にエキサイティングです。
すぐにレコード店に行って捜してみても何処にも無かった(いや、正確にはどこも知らなかった)が、その年のSJ誌の7or8号のディスク・レヴューに本作(直輸入盤)が紹介されて、最高の五つ星の評価を受けていた。ヤッパリなぁ、良いものは誰が聴いてもイイよなー、と言いながら買い求めました。しかし、その年のSJ誌主催の‘ジャズ・ディスク大賞’で、本作は候補作品にノミネートさえもされなかったので、自分の耳はタコだったのか、と落ち込んでいましたが、どうでもいいようなレコードがノミネートされており、釈然としませんでした。
そこで、レコード店の知合いにボヤいたところ、「余程の大物か、話題性のあるのレコードを除き、原則的に国内盤を最優先するという暗黙の了解とリスト・アップも下打ち合わせがされているからさ」、と聞かされ、この業界の裏(談合の体質)を初めて知りました。
だから、釈然としない気持ちが吹っ切れたのは、自分の耳を託した見知らぬ若い女性が本作をストレートに受け入れてくれたこの時でした。
あの人は今でもきっとジャズを、このレコードを聴き続けてくれていると思う。
このレコードは僕とあの人だけの誰も知らない「名盤」かもしれない。
SELF DETERMINATION MUSIC (FDS 128)
第2作目となる本作は前作よりも、もっとシリアスな内容になっている。前作はB・シールがプロデュースしているが、この作品では、B・シ−ルはEXECUTIVE PRODUCERとして名を連ねているだけで、プロデュースはカーターとブラッドフォードとなっており、ミュージシャンの意図、主張がより全面に出ている。
その分、逆に両者の持ち味の良さ、特にブラッドフォードの美しいtpが埋没してしまった感があります。ジャケツトも環境汚染を警告しているようで、音楽性にあまりプラスに作用していないように思われます。プロデューサーの役割の大きさを痛感します。
まるで線香花火のように儚く歴史の彼方へ消えてしまったグループですが、当時、一際、光彩を放った流星の如き存在であった、と確信している。
ps 今までにたった一度だけエサ箱でクズ盤と一緒に放り込まれていた本作を見つけた。哀れに感じ、買ってしまおう、と考えたが、一人でも多くの人にこのレコードを聴いて欲しいと思い、元に戻した記憶があります。そのレコードは今、何処の誰の手元にあるのだろう。
なお、グループを解散した後、二人はそれぞれの道を歩むが、ブラッドフォードはヨーロッパで活躍する(レコードも発表する)。カーターについては不勉強で知りませんが、80年前後、また、二人で一緒にレコードを発表しているようです。
(2003/8/18)