呟 き
1972年、本作がリリースされた際、一体、誰が本作がモンクのラスト・アルバムになると予想できただろう?
ある日、幾分上ずった声の「モンクの新作が出たぞ!」という一本の電話が入った。 CBSの諸作にやや疑問を抱いていた僕は初めあまり気乗りしなかったが「ソロとトリオだ」との一言に惹かれて急いで出掛けてみた。
行ってみると、2枚の新作が揃えてあり、一枚がこの‘SOMETHIG IN BLUE’、もう一枚が‘THE MAN I LOVE’。それもイギリス盤であった。同じ日のセッションを二つに振り分けたあったが、まず、第一集ともいえる本作を購入し、‘THE MAN I LOVE’は次の機会でもいいかな、と考えた。というのは、今となっては確信はないけれど、たまたま傍に置いてあった多分、グリフィンの同じポリドール盤でタイトルも同じ‘THE MAN I LOVE’を見つけ、そちらに気が移ってしまったようです。
だが、運命の分れ道とでもいうのでしょうか、それ以来、モンクの‘THE MAN I
LOVE’に二度と巡り会う事は無かった。
本作は、71年、「ジャイアンツ オブ ジャズ」のツアー中、ロンドンで録音されたもの。当初、モンクはこのツアーに乗り気ではなかったが、ブレイキーの熱心な説得にやっと重い腰を上げて参加したそうです。ブレイキーのモンクに対する深い「敬愛の念」が窺い知れます。
この作品には、聴き方に由ってはかって「モダン・ジャズ・ピアノの異才・奇才」と謳われたモンクの姿はない。かといって例えば、凡人と化した奇才が坦々とピアノを弾くといった「黄昏」風情もない。それどころか、アクア・ブルーとも言えるこの瑞々しさは何と表現したらいいのでしょうか。
世の多くの人達はモンクのピアノを「難解だ」、或いは「とっつき難い」と言う。
その一方、「ちっとも難解でもとっつき難くもない」と言う人もかなりいる。また、ベテランの中にディープなファンが多いのも特徴だ。所謂、その「難解さ、とっつき難さ」の麻薬に嵌ると言っていいのかもしれない。
ソロとトリオを交互に配列したこの演奏は、そんな両者のギャップを埋めるに格好の作品という一面を有しているが、じっくり聴いてみると、そうした世俗を超越したモンクの世界が広がっている。
このアルバムは数多あるガイド・ブックはもとよりモンク・ファンの間でも話題に登ることもなく、誰も褒めないけれど、僕にとってA面を聴き終えた後、B面も聴きたくなる数少ない作品。野望や野心とは無縁にして無心にpを引き綴るこのモンクの演奏を聴くと、本当の「異才・奇才」とは人々の好奇心を徒に煽ったり、刺激したりするものではなく、いつの間にか心の奥底に棲みついてしまうものではないか、と僕は思う。
やはり、モンクは「本物の異才・奇才」、ものが違う。だから、僕はどうしても、もう一度‘THE MAN I LOVE’に巡り会わねばならない、それも、この真っ赤なポリドール盤でなければならないのだ。
本作は、結果的にモンクの早過ぎるラスト・アルバムとなったが、モンクにしてみれば、必然的だったのではないでしょうか?
それにしても、否、だからモンクのpの響き、最高です。
SOMETHING IN BLUE / THELONIOUS MONK
POLYDOR 2460 152
* THELONIOUS MONK (p)
* THELONIOUS MONK (p) AL McKIBBON (b) ART BLAKEY (ds)
1971.11.15 LONDON
(2007.3.10)