(13) McLEANのBN・未発表シリーズ
vol.1 75年に本国で2枚組セットでリリースされている<483-H2>を日本で個別にしたもの。
HIPNOSIS / JACKIE McLEAN
マクリーンのBN時代は59〜67年までの足掛け8年間である。この間に、リーダー作として僕が知り限り計22枚分のLPを吹き込み、そのうち15枚は正規にリリースされたが、7枚分が「お蔵」にされ、後年いろいろな形でリリースされている。BNの制作ポリシーは非常に厳格だったとされているが、この数字を見る限り、そうでもなく、マクリーンは随分他のプレイヤーのサイドマンとして彼の本意?とはかけ離れたスタイルのセッションにも多く借り出され、プレスティージでは「こき使われた」と回想しているが、BNでも結局、あまり変わらなかったかもしれない。66〜67年頃になるとこの問題が表面化?したのか‘DEMON'S DANCE’を最後にマクリーンはBNを去り、第一線から身も引いてしまう。BNのリバティへの売却が下地になっているかもしれないし、当時の音楽産業の在り方に疑問を感じたのかもしれない。
さて、「お蔵」にされた7枚分は全てあの‘Let Freedom Ring’以降なのが興味深い。創造意欲とレコード会社の方針との葛藤、そしてコンサバ・ファンの受けとの板ばさみは想像を絶するものであっただろう。しかし、それをバネにアグレッシブに前進するマクリーンの姿はマクリーン・ファンのみならず、聴く者すべての胸に感動を呼ぶだろう。
BLUE NOTE ST 83022
JACKIE McLEAN (as) GRACHAN MONCUR (tb) LAMONT JOHNSON (p)
SCOTTY HOLT (b) BILLY HIGGINS (ds)
1967. 2. 3
BLUE NOTE 4116 (Unissued)
KENNY DORHAM (tp) JACKIE McLEAN (as) SONNY CLARK (p)
BUTCH WARREN (b) BILLY HIGGINS (ds)
1962
BN最後の年となる67年の初めに吹き込んだ作品。マクリーンの全作品中でこれほど殺気が漲っているレコードは他に無い。まるで暗闇に妖しく光る白刃のようだ。聴き始めたらもう逃れられない。逃げても逃げてもヒギンスのいつになく扇情的なドラミングに乗ってマクリーンの白刃が迫ってくる。
ここには、よく言われる青春の甘酸っぱさ、哀愁なんてなまちょろい世界はない。コルトレーンとコールマンの影響をモロに受けたとされるマクリーンが己の音楽性をより深化させんとする求道者の様相すら感じさせる。相棒のモンカーも殺気に押されたのか気迫に満ちたソロを展開する。作曲に特異な才を持つモンカーの‘リンゴ追分’風のユーモアあるアーシーな‘Back
Home’でさえマクリーンは、かなりシビアなソロを聴かせる。また、ジョンソンのチョット、ファンキーなピアノ・タッチも全編に亘って聴きものですが、ひょつとしてこれがリリースの際、ネックになったのかもしれない。
いずれにしてもどうして本作がお蔵にされたのか、不思議なぐらいファイティング・スピリット溢れる力作です。これがお蔵にされたらマクリーンでなくてもムカつくであろう。
コールマンとの共演まで、後、一月半。
なお、このレコードは78年にリリースされている。
かって「幻の4116」とファンの間で騒がれた1枚である。短命に終わったドーハムとの双頭コンボ時代の作品。日本で最初に日の目をみた時は、特典盤(非売品)としてである。前作の‘Let Freedom Ring’の反響があまりにも大きかったので、このややコンサバなサウンドに懸念をいだき、番号まで決まっていながらリリースが見送られたと言う。
日本でのマクリーンの評価、人気はともかく、本国においては、ハードバップ・マクリーンは殆んど評価されず、‘Let Freedom Ring’でようやく認められるようになったとされる。だからこの後も暫くの間、本作や‘Tippin´The Scales’といった同趣のレコーディングを続けられたが、いずれもお蔵になり、約1年後の‘One
Step Beyiond’まで正規のリリースはない。要するにBNでさえ時代の変化の早さに戸惑ったようだ。
それはともかく、62年録音の本作は、まだ、そんな懸念を感じさせない快演盤である。ドーハムとのコンビネーションもさすがに決まっており、統一感、完成度も申し分ない。ドーハムも力の篭ったプレイを聴かせ、リズム・セクションも秀逸です。肝心のマクリーンのプレイはどうか、と言えば前作ほどではなく、従来から一、二歩ほど前進した好演なので、コンサバ・ファンにも充分、受け容れられるのではないでしょうか。
(2004/3/27)