この人のこの一枚、この一曲 vol.6

LIVE IN SAN FRANCISCO / ARCHIE SHEPP

IMPULSE  A 9118

ARCHIE SHEPP (ts p)  ROSWELL RUDD (tb)  DONALD GARRETT (b)
LEWIS WORRELL (b)  BEAVER HARRIS (ds)

1966

素晴らしい録音である。と言っても‘オーディオ’的な意味ではなく‘ジャズ’的にである。クラブ‘BOTH/AND’でのライヴだが、SHEPP達の演奏だけでなく、その場の空気までもこの黒い円盤の溝に刻まれているようだ。SPの存在を忘れさるほど生々しい。
然るべきシステムで本盤を聴いたらどうなる事やら。失神するかも(チョット大袈裟ですが)。コーテイングされたWジャケットを片手に本作を聴くと忽ち、まるで60年台後半の‘あの頃のジャズ喫茶’にドップリ浸かっている錯覚に陥る。

振り返ってみると、本作が録音された66年のジャズ・シーンと言えばモダンジャズが一つの極みに達した年である。60年台初頭のファンキー・ブームとは異なりいろいろな要素が複雑に重なり合い独特のブームメントとなって高い次元で噴出していた。
本作はそんな時期、真っ只中にサン・フランシスコの‘the BOTH/AND CLUB’に出演中録音されたもの。他のアルバムの方が良く知られているが、
SHEPPの絶頂期を捉えたものだけでなく、聴衆を前に当時のSHEPPの素顔が聴ける力作。2月19日に2枚分が録音されている。

‘IN SAN FRANCISCO’が静とすれば、‘THREE FOR A QUARTER, ONE FOR A DIME’が動と言えるだろう。ジャケットのイメージ通りである。グチャグチャのアヴァンギャルドを危惧(期待?)する向きもあるが、SHEEPは強かである。落とし所、ツボを押さえている。
‘IN SAN FRANCISCO’では、ピアノ・トリオ、そしてPoemまで披露し、彼の当時のジャズ・スタンスを明確に打ち出し、‘In A Setimental Mood’では相変わらずハッタリ演奏を聴かせている。一方、‘THREE FOR A QUARTER, ONE FOR A DIME’ではアグレッシブで熱気に満ちたプレイで終始するが、駆出しの前衛小僧達とは格の違いを聴かせる。どちらか一枚と、言われれば、‘IN SAN FRANCISCO’をお薦めしますが、ひょっとしてSHEPPの一般的イメージと違うかもしれません。

いずれにしても、ガイド・ブックに載っている「名盤」あさりだけでは、ジャズは解らない。
モダンジャズがピークを迎えた66年、ジャズの最前線ではどんなジャズが演られていたのか、そんな聴き方も必要だろう。

くどいようですが、この「音」、まさにモダンジャズ。SHEEPの塩辛いtsから「唾」が飛び掛ってきそうです。一度、良い装置で聴いてみたい。特に‘IN SAN FRANCISCO’のB面が凄い。

AS 9162


(2004/4/17)

BACK

TOP

BESAME MUCHO / ART PEPPER

JVC  VIJ 6372

ART PEPPER (as)  GEORGE CABLES (p)  TONY DUMAS (b)
BILLY HIGGINS (ds)

ジャズ・ファンとは、愛情深い反面、何と残酷な心の持主なんだろう。ペッパーの所謂「後期」について、多くの批評家、ファン?が手厳しい評価をしている事実が物語っている。あの輝かしい50年代のペッパーをあまりにも愛するが故であろう。しかし、そうした頑なな聴き方を棄て、ペッパーの奇跡とも思える復帰とその後の活動を素直に見守ったほうが客観的な聴き方ができるのではないでしょうか。
本作は79年、自己のグループでは2度目(ペッパー自身は3度目)の来日の際、ライブ(東京)録音されたもので、先にリリースされた「ランドスケープ」の続編(2年後にリリース)となる作品。ペッパー自身によって5曲が選出されている。

聴きものは、人気のタイトル曲に違いないが、それより
‘The Shadow Of Your Smile’(邦題、いそしぎ)である。この美しいメロディを持つJ・マンデルの名曲を情感を込めてしみじみと、時には身を削るようにして歌うペツパーの姿に「前期」も「後期」もありゃしない。「廃人同様」というミュージシャンにとって死の淵から蘇った者しか表現できぬ底知れぬ魔力に心が打たれる。ただ、当の本人は出来にあまり満足しなかったのか、或いはこの曲がそんなに好きでないのか定かでないが、リーダーとしての公式録音では本作が唯一ではないでしょうか(但し、甚だ不勉強で間違っているかもしれません)。だから、こんな風に感ずるのは、ひょっとして僕だけかもしれない。

1979

ps 僕は78年に初めて自己のグループを率いて来日したステージを見ています。本調子にはほど遠いが、甘さを排した鋭いトーンでまるでasの鬼神に化したようにソロを吹くペッパーに本物のジャズマンの姿を見た。だから、僕に「前期」も「後期」も存在しない。
それと本盤はヤケに録音がイイ。ジャケットにはなにも記載されていないが、レーベルには「HIGH QUALITY RECORDING」と書いてある。具体的にはどういうレコーディングだったのだろう?

(2004/6/16)


SECOND TO NONE / CARMEN McRAE

MAINSTREAM  S 6028

CARMEN McRAE (vo)
  arranged  and conducted by PETER MATZ

カーメン・マクレエがメインストリーム時代に吹き込んだほとんど話題にされないレコードである。ヴォーカルは、不得手というより門外漢に近い僕が最初に買ったヴォーカル・アルバムがコレ
時は60年台後半、あの京都‘しゃんくれーる’で初めて聴き、いっぺんに好きになり、手に入れたもの。当時の熱っぽく、ドロドロした演奏が多く流れる中、本作は一服の清涼剤にして瞬く間に僕の記憶の中にインプットされたのだ。

全12曲中、9曲が2分台、残り3曲も3分台とコンパクトに仕上げられ、しかも、PETER MATZのアレンジが軽妙で、聴き方によっては、ポップスよりに感じられるためか、硬派の方々より冷たく扱われているようだ。ジャケツトも何となく薄気味悪く、鼻の下を長くして、ニヤニヤするといった代物でないことも、更に拍車を掛けたかもしれない。が、そんな安っぽさを表に出さずともサラッと歌うだけで聴き手を唸らすだけの歌唱力を持つマクレエはやはり、正統、実力派である。

ここでは、彼女の特徴でもある、ややメタリックなトーンで、あまり歌い込まず、むしろこざっぱりと流すマクレエが聴き所であるが、
聴きものは何といっても、ジルベール・ベコーの‘Too Good’である。ヒアリング力が無く、はっきりとその歌詞が判らないが、大体の意味は解る。多分、「貴方との恋は余りにも素晴らしい過ぎ、信じられない。いつまでもこんな幸せが続くはずはない、いつかは別れのときが来る、と覚悟はしていたけれども、・・・・・・・」だろう。本当の歌詞は違っているかもしれないが、マクレエは間違いなく、そう歌っているように僕には聴こえる。微妙な女心をここまでリアルに描写するマクレエにただ、ただ、脱帽。

「絶品」という言葉はこうした名唱のためにあるのではないか。マクレエ・ファンならずとも一度、聴いてみてください。そして、気高くも情感溢れるマクレエにコロッと行ってみてよ。
コロッと行かない方は「本当の恋をご存知ない人」であろう(汗、汗)。

話は戻るが、本作を‘あの頃のしゃんくれーる’でリクエストした御仁はたいした方だ。誰も目を向けない本作の素晴らしさを当時、既に知っていたのだから。
なお、‘Too Good’の他にも美味しい曲がいっぱいである事も付け加えておこう。
本作は所謂
「耳が選ぶ知られざる名唱盤」と言っていいだろう。但し、ヒモ付きなので濃口好みの方には物足りないかも知れません。

ps 本作を密かに愛聴している方が結構多くいらっしゃるのではないか。でも、あまり、人に教えないかもしれないなー。何となくその気持ち解ります。


(2004/8/23)

1964

TAKE TWELVE / LEE MORGAN
‘38年生まれの神童3人衆’のもう一人、モーガンがJAZZLANDに一枚だけ吹き込んだ作品。当時、モーガンはクスリという悪癖により健康を害し、故郷、フィラデルフィアで療養中であった。
その彼が、何故、完治していない体をおして録音に踏み切ったのか定かではない。ただ、それまで‘天才トランペッター’の名を欲しいままにしていた彼にしてみれば、恐らく、イライラが募りに募っていたことは容易に想像できる。しかも、60年台に入りジャズ・シーンが大きく変わりつつある中、同い年ながら、後発のハバードの急成長、しかもジャズ・メッセンジャーズの花形のポジションをハバードに譲ったとなれば、フラストレーションも極限であったのではないか。聞く所によると、モーガンはハバードに対し激しいライバル心を燃やしていたと言う。

まずジャケットをご覧下さい。「おい、お前、何やってんだ! そうじゃ、ないだろう、何度言ったら解るんだ!」とでもメンバーをどついているモーガンが写っている。録音時の一スナップだが、こんなに険しい表情したミュージシャンの顔をそのままジャケットに使用した例を僕は知らない。いかにもアメリカらしいと言えばそれまでだが、このあまりにもリアルすぎるジャケットは当時のモーガンの心境をストレートに映し出している。それも、アルバム・デザイナー、K ・DEARDOFFの狙いの一つであろうが、これでは、神童ならぬ悪童ではないか。
それとも「おお、それそれ、それだよ」だったのだろうか? いずれにしても、異様なジャケットだ。
さて、本作は時代の流れに沿うように、モードにアプローチを見せる曲を含め全6曲(モーガンのオリジナル4曲)が演奏されているが、まだモードを完全消化できず発展途上の面が残っている。そして肝心のモーガンのペットはどうかと言えば、往年の輝き、閃きは残念ながら失せている。言い方を換えると「時代を模索する」とでも言えるが、クスリ問題がここまで影を落とすとは、深刻である。むしろ、良き相棒とも言えるC・ジョーダンの方ががイキイキとハリのあるトーンでtsを鳴らしている。
2年近いこの療養期間がモーガンのその後の人生を大きく変えてしまうとは、この時、モーガン自身知る由も無かった。

「ハード・バップとは、リー・モーガンのいる風景である」とある方がおっしゃたが、当を得た表現である。とすれば、本作は「ハード・バップ」の終焉を告げる一つのドキュメントだったとも言える。
恐らく、一般的なモーガン・ファンは本作を見向きもしないだろうが、もう少し踏み込んでこうした苦悩する天才トランペッターの素顔を聴くのも、当時のジャズ・シーンを逆から知る上で十分、価値があるのではないか。

この10年後、今度は愛人の放った銃弾がモーガンの命を奪う。享年33才。

JAZZLAND  JLP 80

LEE MORGAN (tp)  CLIFFORD JORDAN (ts)  BARRY HARRIS (p)
BOB CRANSHAW (b)  LOUIS HAYES (ds)

1962

(2004/9/16)

NEXT

アンコールで演奏された‘Besame Mucho’は、にくい。ボッサ・リズムを刻むヒギンスの軽快なシンバル・ワークに乗ってペッパーは何の曲なのか聴衆に悟られぬよう浮遊感ある長いイントロで聴衆を焦らした後、さっとテーマに入るものだから聴衆は意表を衝かれ、その様子が拍手に顕れている。ここでも、ペッパーはケイブルスとの素晴らしいフォーバースからエンディングにかけて心の奥底にある何かを搾り出すような激しいソロを展開している。

それが50年代とは違う「今の自分」であることは明白である。それを醜いと感ずるか、彼の生きる様と感ずるかは、聴き手の自由勝手。
されど、「レコード」はただ単に「記録」だけを聴き取ればよい、ではあまりにも寂しすぎる。