思い出の一枚 Vol.8
WINTER MOON / ART PEPPER
GALAXY GXY 5140
ART PEPPER (as, cl) STANLEY COWELL (p) HOWARD ROBERTS (g) CECIL
McBEE. (b) CARL BURNETT (ds)
and STRINGS
1980. 9. 3,4
このサイトを立ち上げてから、今日で10年が経ちました。最初は、30枚そこそこのアルバム・アップで、いつまで続くか、なんて考えもせず見切り発車同然のスタートでした。ただ、可笑しな事に、いつかはクローズする時がやってくる、そして、その時は「コレかコレ」と決めていた。
一枚は、パーカー、もう一枚は、ペッパーの‘WINTER MOON’
10年経った今、もう少し続けたい、という気持ちがまだ残っており、折り返し点というわけではありませんが、節目として本アルバムを取り上げました。
30余年ほど前、ある問題を抱えていた。自分で蒔いた種とはいえ、右、左、逃げる選択肢はなく前進か後戻りか、二者択一の状況。
ある日、まるでその答えを見出そうとするかのように、車を走らせた。琵琶湖湖畔で一泊し、比叡山を越え京都へ。途中、展望台から京都市街地を眺めていると、「あっ、飛行機雲が・・・・・」と声が。頭上を見ると、青空をジェット機が2機、寄り添うように遥か上空を飛んでいた。姿が見えなくなっても、暫く目で追い、そして腹を括った。
帰りに、東山通り、熊野神社近くの「YAMATOYA」に寄った。ここは大学を卒業してからオープンしたジャズ喫茶なので、初めてです。1Fのクラッシック調のソファに身を沈めて、しばらくするとストリングスが流れ始め、なにか一音一音探るように、それでいて確信に満ちたアルト・サックスに耳を奪われた。初めて聴くペッパーのレコードだった。
心に決めたひと時の安堵感からなのか、或いは、これから待ち受ける難題への不安から逃れたい気持ちからかもしれないが、この一曲は「心の鐘」を激しく打ち鳴らした。
4曲目辺りになると、もう時間よ、このまま止まってくれ!と・・・・・・・・・・
翌日、ヤマハに走り、ファクトリー・シールドのこの‘WINTER MOON’を見つけた。ジェット機をイラストした「AIR MAIL」のシールまで貼ってあったのだ。
そして、リア・カヴァを見ると、一曲目のタイトルは、何と‘Our Song’ ・・・・・・・・・・・・・・・
それから三年を掛け、この難問をクリアしたけれど、心が折れそうになる厳しい局面に何度も立たされた。そんな時、いつも、この‘Our Song’が心の支えになった。
メランコリックな哀愁がギュッと詰まった‘Our Song’、どことなく晴れやかな‘Here's That Rainy Day'、敷き詰められたようダークさが漂う‘Winter Moon’、切っても切れぬ因縁のナンバー‘The Prisoner’等、確かに内面からペッパーは変わった。
カムバックするまでの15年の歳月と試練は、彼から一瞬の閃きに翔る才能を奪ったけれど、代わりに、聴く者に「感銘」を与えられるミュージシャンに育て上げた、と思う。
「感動」する演奏、作品は数多あるが、「感銘」となると、そうざらにはない。少なくとも、この‘WINTER MOON’は、自分にとって「その一枚」なんです。
ペッパーは過去(のプレイ)を振り返ることなく「前進」した。自分も「前進」の道を選んだ。それで、良かった。
(2013.2.7)
YOU MUST BELIEVE IN SPRING / BILL EVANS
WARNER BROS HS 3504
BILL EVANS (p) EDDIE GOMEZ (b) ELIOT ZIGMUND (ds)
1977. 8. 23,24,25
ビル エバンス、1980年9月15日 没 享年51歳。「時間を掛けた自殺」とも言われる。今でも、そんな若さで、と信じられない。
自分の記憶に間違いなければ、その年の9月後半〜翌月に掛けて来日公演が予定されていたはずで、コンサートを観に行くことを楽しみにしていた。つまり、直前に亡くなったワケです。新聞の訃報欄にエバンスの名を見た時、にわかに信じられず、まさか事故?と思ったがそうではなく、何かの間違いでは、と願ったほど。
死因が判明するにつれ、「ベッドの上より、鍵盤の上で・・・・・」を選んだピアニスとしての執念とジャズ・スピリットに強い衝撃を受けた。
我が国では、ジャズ・ピアニストとして、多分、人気1だろう、ただ、ナルシストとしてのイメージからか、一部のファンから毛嫌いされているのも事実。
エバンスのプレイにはストイックな側面も感じられるものの、彼の作品を時系列に聴いて行くと、エバンスのpは本質的に「ナイーブ」と思う。ただ、彼の旺盛なチャレンジ精神が本来の姿を見えにくくしていたのではないでしょうか。勿論、エバンス自ら、そうした方向に進むことを望んていたのでしょう.。
このアルバムは、死の翌年にリリースされたもの。4年間近く「お蔵入り」にされていたとは、そして、その「ナイーブさ」に驚いた。エバンスの意向でリリースを見送っていたかどうか、定かではありませんが、もし、そうだとしたら、彼は、一生、「自分の本質」と戦い、それを隠すために「クスリ」を選んだのかもしれません。また、穿った見方やもしれませんが、ラファロとの4部作が重荷になっていたのでは。
本作は、ファンタジーを離れ、ワーナーへのファースト・レコーディング、そして長年連れ添ったゴメスとのラスト・セッション。エヴァンスは「本質」を吐露した。この溢れんばかりのナイーブさはどうだ!
ファンタジーとは.まったく異なるサウンド・キャラクターなのか、一音一音、まるでダイやモンドのような煌めく音で、エバンスは「素顔」を見せる。ボリュームを絞っても「音際」は些かも崩れない。
録音の良さはエバンスだけでなく、何かと評判よろしく無い(電気増幅?)ゴメスも本作ではいい役割を果たしている。中でも、‘We Will Meet Again’のソロなんか、聴きものです。
A面は、感傷的過ぎる面もあるが、例えば、タイトル曲‘You Must Believe In Spring’でのゴメスの後、畳み掛けるようなソロを聴けば、自ずと分かるというもの。「音」が立っている。指先から鍵盤にエバンスの「意思」が漏れることなく伝わっている。また、小品ながら、‘Gary's Theme’が隠れた名演。勿論、‘We Will Meet Again’もいい。
B面に移ると、エバンスの「ナイーブさ」が更に際立つ。中でも、‘The Peacocks’での耽美的な語り口は筆舌に尽くし難い!
エバンスは、生前、この作品が表に出ることを嫌った(かもしれない)。自分の本質を曝け出す事を恐れたのか、それとも、自分としては「並み」の出来と思ったのか。
仮に「並みの出来」であったとしても、それは、あくまで彼の理想に対してであり、客観的に聴けば、極めて高いレベルの「エヴァンス流美学」に満ち溢れている。
人間は絶頂期ではなく、逆の時に、「本質」が現れると言う。「不作為の自殺」を選んだエバンスは、「春の訪れ」が如く、ナイーブな「抒情詩」を弾いた。
(2014. 2. 7)
AT THE JAZZ WORKSHOP / BARRY HARRIS
RIVERSIDE RLP 1177
BARRY HARRIS (p) SAM JONES (b) LOUIS HAYES (ds)
Recorded ‘live’at The Jazz Workshop,San Francisco; May 15 and 16,
1960
ジャズを聴き始めた駆け出しの頃、地元で同い年の慶応ボーイと知り合い、中学生時代からジャズに親しんでいた彼に、いろいろ教えてもらった。
社会人になって、一度、家に遊びに行った時、広いオーディオ・ルームで当時、高根の花であったアルテックA7を鳴らしていたのには、ビックリ。
ハバードの‘GOIN' UP’が凄く良い、と薦めたのも、マイルス好きの彼でした。
ある時、L・モーガンの‘SIDEWINDER’の話になり、「サイド、特にpのB・ハリスがイイだよなぁ〜」と言い出した。自分はまだサイドまで気が回っていなかったので、「やっぱ〜、聴き方が凄いなぁ〜」と感心したけれど、それなりに知識だけは吸収していたので、「B・ハリスと言えば、‘At The Jazz Workshop’が一番、良いんだよね」と言うと、彼は「あのレコードは好きじゃない」と、意外な返事が。
自分は、まだそのレコードを聴いていなかったので、敢てそのワケを聞かなかった。ただ、BNにB・ハリスとは珍しい、とは感じていた。
それから、かなり経って本作を手に入れ、聴いてそのワケが分かりました。これは、もう100%「 リトル B・パウエル」ですね。
この作品は、当時のキャノンボール・クィンテットのリズム・セクションだけでレコ−ディングされたもので、ライヴものだけに難しい事をせず、明るく、軽妙なノリに終始している。聴衆の反応も実にハッピーですね。
そんな中、B面の3曲目のスタンダード‘Don't Blame Me’は‘PREMINARD’(354)の‘It's The Talk Of The Town’にも通ずる朴訥な語り口が聴きものです。
今でも、ハリスのBEST作として定評ある作品ですが、「 リトル B・パウエル」を、どう聴くかで評価が分かれるかもしれません。
(2015. 9. 3)
BACK TOP