愛 聴 盤 vol. 8
MATING CALL / JOHN COLTRANE WITH TADD DAMERON
PRESTIGE 7247
JOHN COLTRANE (ts) TADD DAMERON (p) JOHN SIMMONS (b) PHILLY JOE JONE (ds)
1956. 11. 30
このカヴァは2nd(NJ盤)で、オリジナルは御存じの通り、7070(カヴァにポイントしてください)。後年、1962年になって、コルトレーンの人気にあやかり再発されたもの。コルトレーンとダメロンの名が入れ替わっている。Goldmineのよると、この再発盤はオリジナルの1/5のプライスになっている。あまりにもショボいカヴァですね。触手が動かないのも無理ありません。
ところで、本盤のセンターラベルが面白い。No.は7247に変わっているが、コルトレーンとダメロンの名はオリジナルのまま。そして、ラベルの周りの無録音スペースには、オリジナルNo.がサァンド・ペーパー?か何かで無造作に掻き消され、横に再発No.が手書き風に刻まれています。また、RVGも刻まれている。と、すると、ひょっとして、レコード本体だけデッド・ストックもののオリジナルでセンター・ラベルを張り替えたものか?と期待が膨らむ。でも、ラベルを剥がすって、上手く出来るだろうか? 或いは、上から重ね張りをしたのだろうか? こんな事を想像するって、ま、アナログ・ファンの楽しみの一つかもしれませんね。
で、判断材料の頼りは「耳」。コルトレーンのtsはまるで鉄の塊のように硬質で、当時、「ヘタクソ!」と罵倒?された通り、時折、キーキーさせているものの、音圧はメチャクチャ高く、オリジナル盤と思わせるのに充分ですが、反面、リズム・セクションは、ダメロンのピアノ・タッチが弱く、bは蚊の泣く様だし、ジョーンズのdsも後ろに引き下がり、スカスカと言っても差し支えありません。もっとも、コルトレーンのtsがあまりにも強く、ボリュームを通常レベルまで上げられないせいかもしれません。いずれにしても、凡庸な耳では確信を持てませんが、多分、オリジナル盤ではない、と思います。
オリジナル盤は未聴ですが、バランス面から言えば、この再発盤より、むしろ国内盤のほうが良いかもしれません。
普段、PRESTIGE時代のコルトレーンを滅多に聴かないが、本作は例外。時々、引っ張り出し聴いている。その理由は、ダメロンが書いたチャーミングなオリジナル曲の中、コルトレーンの「鋼のリリシズム」が浮かび上がっている。その典型的ナンバーが、ダメロンがコルトレーンの為に書いた‘Soultrane’、また、「歌わないts]と揶揄されるコルトレンが、例えば、‘Gnid’では愛くるしく歌っているよ。‘On A Misty Night’のドライヴ感も小気味よい。やはり、ワインストックの嗅覚は鋭いですよね。まだ、誰も気が付いていないコルトレーンの本質を既に見抜いている。リーダーはダメロンだが、ワインストックの狙いはコルトレーンだったのだろう。それにしても、ダメロンは良い曲を書きますね。
確かに、PRESTIGE時代の代表作‘SOULTRANE’の完成度には遠く及ばない。だが、完成度という尺度では決して測れないものもある。それが本作。黙って「コルトレーン流、鋼のリリシズム」を聴け! 原石のままだが、期待は決して裏切らない。
(2010.8.18)
JAZZZ 104
RICHARD KAMUCA (ts) MUNDELL LOWE (g) MONTE BUDWIG (b) NICK CIRELLO
(ds)
1976
カミュカと言えば「モード盤」と相場は決まっている。が、以前、その‘QUARTET’を「微妙」とコメントしたにはそれなりのワケがあります。その根拠が本作。同じ‘QUARTET’でも、こちらは、カミュカが癌で亡くなる前年、1976年に自費出版?に近い形でレコーディングされた作品で、恐らく、「遺作」となることを想定して録音したのだろう。何故ならば、‘RICHIE’ではなく本名の‘RICHARD’とクレジットされている。初リーダー作のモード盤と同じペイティング・カヴァなのも何やら因縁深い。しかし、受ける印象は180度異なり、観賞力に乏しい自分にはこのカヴァの意図が今一つ、掴めていない。
それはそれとして、内容はカミュカ=モード盤という定説を覆すほど素晴らしい。カミュカ自身が好き、と述べている作曲家コール・ポーターの‘I Concentrate On Yuo’からキック・オフする本作は不思議な生命力に満ちている。でも、その生命力は若さ、或いは自信などから生まれるキラキラしたものとは違って、無我、無心といった精神から生ずるピュアなもの。「死期を悟った境地」など通り一遍の言葉では、到底、言い尽くせない何かが宿っている。
もともとレスター・ヤング系のテナー奏者だが、50年代後半、コルトレーンをかなり聴き込み、少なからず影響を受けている。だだ、カミュカは自分の奏法にしっかりと消化しているので、一聴しただけでは解らないかもしれません。M・ロウの味わい深いコード・ワークのよるサポートに乗って、カミュカはやや塩気を含んだ音色で見事なソロ・ワークを聴かせます。
とにかく、TOPの‘I Concentrate On Yuo’のドライヴの利いたイマジネーション豊かなテナー、どうでしょう!イヤでもグイグイと引き込まれてしまう。同曲の名演の一つではないでしょうか。また、A-4の‘Say It Isn't So’ではテナーの澄んだ音色に心が奪われる。さりげなく吹くだけでこれだけの表現力はもう半端ではありません。
B面に移っても、カミュカの瑞々しいテナーは冴え渡り、ラスト・ナンバー、L・ヤングのフェイバリット・バラード(但し、レコーディングはしていないとの事)‘Tis Autumn’では、ハスキーなvocalまで聴かせます。最後に自分の肉声を記録しておきたかったかもしれません。ここでのカミュカのテナー、うまい表現ができませんが、俗ぽさがまったくなく、浮世離れした異端の世界を創出している。
マニアから「不世出のテナーマン」と謳われる所以は、本作の存在があるからではないでしょうか。
このアルバムは「知られざる名盤」の中でも横綱級だろう。未聴の方は、是非一度、耳を通して下さい!
なお、本作は後にコンコードから‘RICHIE’というタイトルで再発されています。
(2011.9.17)
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